「なんでそんなに働くの?」好きを仕事にしていたから見えなかったこと

こんにちはwasabi( wasabi_nomadik)です。
ベルリンでのフリーランスの日常が垣間見えるストーリーをお届けするこちらのコラム。
初回の記事でも書いたように、その頃私は突然得た「余白」によってモヤモヤする日々が続いていました。フリーランスを始めたばかりの頃はただがむしゃらに走り続けていて考える時間もその必要もなかったことに、嫌でも考えなければいけない時間を持つことになったからです。
それまで私は仕事に必死で、自分が「海外移住」で思い描いていたような「現地の友達とゆったりまったりしながら深い関係を築く」ようなことにはなかなか時間が割けないでいました。海外移住をしたばかりの頃は何もかもが日本とは違っていて小さなことでも戸惑います。ドイツでのゴミの捨て方、近所との付き合い方、住所登録、税金登録、保険加入…いろいろなシステムに慣れないといけないし、最初の1年くらいは準備に費やされたと言っても過言ではなく、その生活の変化と仕事を両立させるだけで精一杯だったんです。
仕事で取材をたくさんする性質上知り合いは多い方でしたが、深い人間関係の構築に目を向けられていなかったというわけです。
そんなある日、友達経由で知り合ったドイツ人の女の子に家に招かれてディナーかお茶だったか忘れたのですが、とにかく彼女の家で会うことになりました。
その日はその子といろんなことを話せて楽しかったな〜という気分でいたのですが、後ろに仕事も詰まってるしもうそろそろ帰ろうかな〜と思って、「もうそろそろ帰るね」と言ったんです。その頃の私は何よりも仕事優先だったので、どんな集まりに行ってもよっぽどのことがなければあまり遅くまでは残らずすぐに帰っていたので、私にとっては普通のことでした。
そしたらその女の子が「もう!?」みたいなリアクションでびっくりしていて、ちょっとショックそうでした。なので、「もちろんもっといたいけど、仕事しないとね〜。本当にごめんね。」と伝えました。
その時、彼女が私にぽろっと「なんでそんなに働くの?」と聞いたんです。
私はその時、「仕事だけど、仕事と思っていなくて趣味みたいなもんだからな〜」と言いました。彼女はそれでも不思議そうにしていました。
でもこういう反応をしたのって、今までに彼女だけではなく。
ドイツ人の集まりに行って私が先に帰ると、自分がいくら仕事を好きかを説明しても不思議そうな顔をされることが多かったので、私は「なんでわかってくれないんだろ〜?」と思っていました。だからその時も、「またこの反応か〜」という感じで、あまり気に留めませんでした。
別のとある日、私は前に1回だけ会ったことのあるフランス人の友達と少し久しぶりに会いました。
その時に私はとある絶望的なことに気づかされるのです。
その子はすごく聞き上手で、私の話したいことをよく聞いてくれ、それに関する質問もすごく上手な子でした。私はその子がなんでも嬉しそうに聞いてくれるし、ワクワクしてくれるので嬉しくなって私はノンストップでバーっと話していたんです。
その女の子があまりにも私の話を真剣に聞いてくれるので不思議に思って、ふと彼女の目を見たら、その目がすごく純粋でした。
どんな純粋さかと言えば、「ただ、相手のことをもっとよく知りたい」という純粋さです。
私はその時ハッと気づかされました。
相手に「自分のことを知ってもらう」というコミュニケーションの中で私がしていたこと。
私は、仕事の話しかしていない自分に気づいてしまったのです。
それはこの時だけではなく、先日会ったドイツ人の女の子と遊んだときも、その他に過去誰かに招かれたときも。自分か気づかないうちにずっと。
気づけば、「仕事」という切り口でしかコミュニケーションができない人になっていました。
彼女のように、面白い質問もできない。人との会話が基本「ビジネスプレゼン」になっていた自分に気づかされ、絶望するのです。
思い返せば、ドイツ人の女の子にも「なぜそんなに働くの?」って聞かれた時に、仕事の話ばかりしていたのです。
もちろん仕事が自分にとってすごく大切なものであることは悪いことではありません。むしろそれは素晴らしいこと。
でも彼女が知りたいと思ってくれているのは、そんなことではなくて「私」という人間が「どういうものの感じ方」をするのかという、もっと深くて人間的に裸な部分だったんです。
私はいつも新しいプロジェクトでうきうきワクワクしていて、それに関する話はいくらでもできました。でも、気づいてみれば「自分がどんな人間か」を人に伝える方法、表現する語彙が圧倒的に不足していたのです。
私の中での「友達」の定義はうきうきしたことを話してポジティブを分けあって、元気をもらいあう仲だと思っていたのでしょう。だから、その子がもっと私の深いところを知りたいと思ってくれているその目を見た時に、私はそのことに気づかなかった自分が愚かに感じて申し訳なくなりました。
それがショックだったから、考え始めるのです。
そもそも、自分がどうして今の自分になったのかをちゃんと考えたことってあっただろうか?
どうして自分がポジティブでいられるのか?
自分は過去の関係性で何を学び、何を失ったのか。
自分の育った家庭環境が自分の人格にどう影響していると思うか?
こういうことをひとつひとつ知らなければ、誰かと関係性を深めることはできないんだ。
相手を深く知るためには、自分自身がこうした自己理解のプロセスを踏まなければ自分のことも深いレベルで伝えられないし、相手に本当に興味を持つことも、想像することさえできない。
そして、そこまで誰かと深い関係を築くということはそのために「時間」を割くことが必要不可欠です。こんな当たり前のことに、忙しすぎる時は気がつきませんでした。
「好きなことを仕事にする」からこそ見えづらいもの
特に、私のようにフリーランスである意味「好きなこと」を仕事にしているとこの部分が見えにくくなると思います。好きだから永遠にやっていても苦痛ではないし、むしろ好きなことです。
自分の仕事が好きだと胸を張って言えることは今でも私の誇りです。
でも、仕事だけに時間を使ってしまう人生は私の欲しい人生ではないな、そう気づかされたのが彼女たちとの会話でした。私の人生のタイミングの中で「人と深い関係性を築くためのコミュニケーション」の方法を学ぶ機会が訪れたのです。
そこから私が見る日常の景色が変わり、驚愕したのを覚えています。
しかし、気づいたのはスタート地点。これを本当に理解するプロセスでは、また多くの学びがありました。