ベルリンへの道:ゾフィーエン・シュトラーセ
新連載「ベルリンへの道」を始めます!
ベルリンに住んで、はや20年!
しかし、なぜ、文句を言いつつも飽きもせず、いまだにここが好きなんだろう?とその魅力を考えてみるのですが、なかなか言葉では表せません。もしかしたら、その魅力はモノや点ではなく、その点と点の間にある何か、空気感だったり、人の動き、窓から途切れ途切れに聞こえる音や光や匂いとか、そんなようなものかもしれません。
1つの通りを取り上げて、そこをぼんやり歩いたり、買い食いしたり、自転車を漕ぎながら眺めていくように、写真や動画で、ベルリンの街のひとかけらを紹介してみたいと思います。
さて一番最初に取り上げるのは、
ミッテ地区の「ゾフィーエン・シュトラーセ(通り)」Sophienstrasse
ベルリンに来て3年目、大学時代、制作と仕事が一番ハードだった時代を5年間過ごした通りで、個人的に一番印象深い場所の一つでもあります。
観光客が集まる「ハッケッシェ・ヘーフェ」に繋がっていて、最寄駅は新橋駅(のモデルとなった駅)だというのに、車通りも少なく、こぢんまりとした村のような雰囲気なのは、緑が多いせいでしょうか。
このあたりは、ショイネンフィアテル(納屋地区)と呼ばれていますが、17世紀頃には納屋がたくさん集められていたので、こういう名前になったのだそうです。当時の「ベルリン」には、火事を防ぐために市内に納屋を置くことを禁止していたため、市壁のすぐ裏手のこの場所に納屋を立てたのだとか。
18世紀には、フリードリッヒ・ヴィルヘルム 1世が家を持たないユダヤ人に、この場所に住むように命じました。その後、この周辺はユダヤ人地区として発展していき、いまも近隣にはシナゴーグやユダヤ人墓地などがあります。
東ドイツ時代、1980年代に、第二次世界大戦で壊れた建物、通りを再建する「ショーケース・プロジェクト」の一つだったというゾフィーエン・シュトラーセには、もうほとんど戦争の爪痕は残されていません。
東西統一後に、首都として返り咲いたベルリンで、最も注目のスポットとなったのが、旧東ベルリン、ミッテ地区。1990年代には、小さなギャラリーやシアターが集まり、アート系、デザイン系の若者ならここに住みたい……と言われるようなオシャレスポット(死語?)になったために一気に家賃が高騰し、大半の建物が綺麗に改装され、2010年代は高級住宅街になってしまいました。ギャラリーやレストランなども減って、夜はとても静か。
創業1926年から、戦争も、東ドイツ時代も、ベルリンの壁崩壊も生き延びた老舗のパン屋さんは、2016年に創業者のお子さんが倒れてしまい、パン屋からベルリン名物のプファンクーヘンの専門店に変わってしまいました。
大晦日には、たっぷり注文して、色々食べ比べるのも面白いですよ♪
ドイツの、年越し蕎麦ならぬ年越しドーナツ「プファンクーヘン(ベルリーナー/クラプフェン)の、黒い森のさくらんぼケーキバージョン!はこんな感じでした!
うーん、定番のプラムジャム入りがやっぱり一番美味しいかな……#日々是独日 pic.twitter.com/0QxG6qcob8— kawachi_berlin (@berlinbau) January 1, 2020
実は、私が住んでいた家は、いまはもうありません。
豪華なアルトバウに挟まれた、1960年代の東ドイツ建築だったのですが、家を買った人が住民を全員追い出して更地にし、アルトバウにそっくりのビルを建ててしまったのです。私が住みはじめた時は、賃貸契約には期限がついていましたが、隣人は8割が東ドイツ時代からの住民。皆、「ここに骨を埋める」と頑張っていました。
東ドイツの生々しい歴史に触れたのは、この場所が初めてだったでしょうか。
日本の裏長家か?と思うくらいに、壁が薄い、いや壁は厚いのに、中が空洞になってつながっているのか、上の人の暮らしの音が全て聞こえるこのアパートで、上に住んでいる70代の博士と仲良くなりました。東ドイツ時代は設計士だったという彼は、シュタージ(東独の秘密警察)の分厚い資料のコピーを「他人が作ってくれた、自伝」と言って面白がって、私に見せてくれました。東ドイツ時代に有名だったというミッテ地区のレストランやダンスホールなどの場所を教えてくれたのも、この博士でした。
そして、この通りが歩いていて楽しいのは、「ハッケッシェ・ヘーフェ」だけででなく、様々な中庭につながっているということ。
アートコレクターのプライベートコレクションや、カフェなどが隠れている「ゾフィー・ギプス・ヘーフェ」、ゾフィーエン・ゼーレ劇場が奥に隠れている中庭。通りのドアが開いていたら、ちょっと足を踏み入れてみたくなる、探検心をくすぐられる通りです。通りの向こうには、何があるのかな?
覗き込んだら、不思議な出会いがあるかもしれません。
Young Germanyのブログにて「ベルリンへの道」の連載を始めるにあたって、ミッテ地区「ゾフィーエンシュトラーセ」、ホーフ(中庭)を抜けて、自転車で動画を撮ってみたのですが、み、道が石畳ー!編集?は初体験なので、すみません。窓辺におじさんが座って読書してたのがツボでした😁 pic.twitter.com/zTZGv4KoxT
— kawachi_berlin (@berlinbau) May 25, 2020