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『ドイツでの働き方、日本での働き方』

今回のテーマは『ドイツでの働き方、日本での働き方』です。

お話を伺ったのは現在ベルリンの税理士事務所で働きながら音楽活動をされている米津功司さんです。

日本でもサラリーマンと音楽活動の二足のわらじを履いておられたということで、ベルリンMehringdamm 地区のカフェに出向きお話を伺いました。(2023年2月)

今日はよろしくお願いします。まずは簡単に経歴から教えていただけますか。
『1979年生まれ、43歳で愛知県出身で、高校まで愛知県で過ごして、大学から静岡に行って、大学で4年間過ごした後に東京の会社に就職して、それが2002年からなんですけど、サラリーマンをやり出して、音楽活動とかもやりつつ、2011年の10月にベルリンに引っ越してきて今に至るという感じですかね。』
就職された会社は?
『IT系で、NECの系列会社で、いわゆる企業向けのコンピューターシステムを構築、販売する会社で、製造業向けの会社の営業をやってました。』
営業やってたんですね、見えない。
『10年ぐらい営業やってましたね、工場のライン管理とか、生産管理とか、製造業の営業部署の営業管理をするシステムとかやってました。会社には営業部隊とSE部隊と事務系や経理、人事や総務とかいっぱいあるんですけど、その中の営業職をやっていて、会社のSE部隊とタッグを組んで、まあ売り込み係ですよね。』
どんな商品を営業されてたんですか?
『一番印象に残ってるのは、製造業のお客さんの工場があるんですけど、工場で作ったものの情報をトレースする仕組みがないからそれを作って欲しいと言われて。どういうことかというと、お客さんから故障がありました、苦情がありましたという時に、どのロットで作ったものかとか、原材料をどこから買ったものかとか、後に遡って製品の情報を全部追える仕組みが無い、そういうものを作って欲しいっていう風に言われて、それをヒアリングから入って数ヶ月かけてどんなものが必要かというのをやって、システムを作ったことはあります。』
元々ある商品を売り込むっていうのではなくてですか?
『どっちもあります。いわゆるパッケージって言われてて世の中に出回ってるものをそのまま売る時もあれば、ただそのパッケージを導入する時もインストールをする作業とか、セットアップする作業っていうのはこっちが仕事として請け負って、パッケージの値段プラス社内のSEの人件費をまとめて、プラスしてNECのパソコンも一緒に入れたりとか。』
営業だと成績を見られますよね。
『成績はありますね。昔みたいにグラフを張り出してとかそういうのは無いですけど、成績ありきでした。半期半期で個人の目標を立てて、半年間はこの額を目指しますみたいな、もちろん目標を立ててクリアできる時とそうでない時があります。目標っていうのは基本的に結構高めに設定するので、チャレンジング目標ありきみたいな。』
高めに設定するのは周りや会社の圧力みたいなものがあるんですか?
『そうですね、結局会社ってずっと成長していかないといけない命題があるじゃないですか、会社も成長していかないといけない目標を立てるし、そこの下にある事業部もそれに合わせた目標を立てるし、結局下に降りてくるものも高いハードルになる。あまりに目標が低いと半期の会議で普通に低いだろうと突っ込みが入る、修正してよっていうのは普通にあるので。』
自分が立てた目標以上の結果を得た場合って、会社からボーナスとか特別に何か報酬とかあるのですか?
『無いですね。』
下がろうが上がろうがそこは関係ないって感じですか、下がるとペナルティーがあったりは?
『無かったですね。下がると恥ずかしい、情けないって感じ。今ドイツの税理士事務所で働いているんですけど、そこでも目標を立てるっていうのはあります。年に一回事務所のボスと面談があるんですけど、今年はどうするかとか、割とラフな感じで、まだ一回しかやってないですけどね。』
結果を受けてどうなるかはまだ分からない。
『昨年の目標をどの程度クリアしてて、今年これをやるっていうのは、今働いているところもやってます。』
今年はちなみにどんな目標を立てましたか?
『今年はまだやってないですね(笑)。去年の3月に二人目の子供が産まれて、そこから10ヶ月、今年の1月半ばぐらいまで育休を取っていたので、昨年がほとんど無かったというか実質2ヶ月ぐらいしかやってなかったので。比べる指標がないので、今年の面談はお呼びがかからなかったですね、自分は今年は無いんだなと。』
大学卒業後東京で就職をされて営業職に付かれて、割と希望通りの流れでこられたんですか?それとも割とハプニング的にこうなってしまったと思われますか?
『希望といえば希望なんですけど。今から振り返ってみると、本当に希望してた、本当に自分が希望したのか、というのはあるんですけど。当時はそうしていくものだと思ってたので、気分的には大学3年生ぐらいから就職活動を始めて、4年生の何処かのタイミングで就職が決まって、NECって名前も聞いたこともあったんで、看板がある会社で東京で働けるんだみたいな、その当時はそういう感じでしたね。』
NEC?
『グループはでかいですね、3万人ぐらいとかいるんじゃないですかね。』
当時は就職氷河期だったのではないですか?
『そうですね。15とか20とか、いっぱい受けましたね。自分はずっと通らなくて、みんな就職活動を終えたような時期にその会社の2次か3次募集みたいなのがあって、そこに面接を受けに行って、大学4年生の半ばぐらいとかにやっと受かったと、そんな感じでした。』
他に希望先があったんですか?どういう方向に行きたいなど。
『一番最初に受けたのは静岡の大学だったので、ヤマハを受けましたね。』
静岡に残ろうというのがあったんですね。
『最初は音楽好きだったので、音楽系の会社で働いてみたいと思って、アンプのメーカーとか、マランツに行ったかな、オンキョーとか。』
いわゆる大手の会社の名前があがってますが、大手の会社でなくても音楽に携わる会社や候補は他に無かったですか?
『そうですね、そういう風には見てなかったです。』
就職試験を受けた会社で具体的に何をしたいとかありましたか?それとも割と漠然とした感じだったのか、音楽系の会社に関われればいいと?
『無茶苦茶漠然とした感じです。具体的にそこで何かしたいというのは無かったですね、なんか音楽に携われたらいいなっていう感じで。』
音楽に携われたらいいなって思い始めたのはいつ頃からなんですか?例えば音楽とどういう風に関わってこられたとか?
『高校二年生ぐらいの頃に、うちのお兄ちゃんがヒップホップのDJをやっててですね。』
兄弟いるんですか?
『三つ上に一人兄がいて、その兄が僕が中学の頃にヒップホップのDJをやってて、名古屋のレコード屋さんでバイトしてて、地元のCD屋さんで、電気グルーヴのアルバム「ビタミン」を借りて来たんですよ、それで聞いたらこんな音楽聞いた事ないって話になって、そこかな。それまでは普通にJ-POPというか、ユニコーンとかX JAPANとか聞いてましたね。』
電気グルーヴは一応カテゴリーとしてはJ-POPにカテゴリーされてた?
『そうですね。』
ユニコーンはJ-POPだけど、電気グルーヴは違うみたいな、そこを分けるものは何だったんですか?
『何だろうな、こんな音楽聞いたことが無いなっていうのが結構大きかったというか。』
ユニコーンは聞いたことある感じですか?
『ユニコーンを聞いた時に、初めて思ったのが、歌って恋愛に関係なくてもいいんだって思ったんですよ。サラリーマン大変だとか、野球の人の話とか歌ってて、それまでは男子と女子の関係みたいなほとんどそういう歌ばっかりしか聞いてこなかったんですけど。』
それまではどういう音楽を聞かれてたんですか?
『その前は、ビーズ、X JAPAN、大きくハマったのでいうと、ビーズ、X JAPAN、ユニコーン、そこからテクノです。』
それ以降の音楽経歴を教えてください。
『電気グルーヴからダンスミュージックを聞き出して、学生服で文也さんの「アイアムノットアディージェイ」とか擦り切れるぐらい聞いてましたよ、高校2年生の頃ですかね。だからもちろん電気グルーヴを聞いた時も、今まで聞いた事がない音楽だと思ったし、「アイアムノットアディージェイ」とかそのミックスCDを聞いた時も、CDの裏カバーを見ると曲目がいっぱいのってるんだけど、全部繋がってるっていうのが、何をやってるんだこれはみたいな、っていうなんか初めての音楽みたいな。』
J-POPを聞いてきた流れでよく分からない音楽に出会ってそれがダンスミュージックだったと。
『そこからは地元のCD屋でカタログを見てテクノのCDを注文したり、それこそテクノ専門学校のCDを注文したりとかして、ソニーテクノはめちゃくちゃお世話になりましたね。』
今まで聞いた事がない音楽に出会って、すんなり入る人とそうでない人がいると思うんですけど、音楽に今まで聞いた事がない、っていう要素は大切だと思われますか?
『そうですね、電気グルーヴを最初聞いた時は衝撃でしたから。』
そういう音楽遍歴が、音楽系の会社に就職したいってどう繋がっていくんですか?別に音楽は趣味で仕事は音楽系以外の会社に就職するでもいいと思うんですけど。
『そこは漠然としてたと思います。音楽好きだったんで、何かしら音楽系の会社で働いてみたいなって、さっき言ったのと重複しちゃうんですけど。』
学生の頃音楽以外に他に興味あったこととかやってたことは何ですか?
『大学生の頃はめちゃくちゃDJしてましたね。大学の時に初めてクラブでDJをするようになって、静岡でイベント企画したり、毎日ミックステープをレコード屋に持って行ったり。』
大学生の時はクラブ通いだったんですね。そういう生活がありながらいわゆる学生をやっていたのですか?
『そうですね。』
大学生の時の音楽活動でそのままいくでもいいと思うんですけど。
『音楽活動と就職して働くということは切り離して考えてましたね。そういう発想がなかったという感じですかね。高校受験して高校に行って、大学受験して大学に行って、就職活動をして就職をする、っていうのが普通というか、それ一択ぐらいしかあまり頭にないっていうか、人生の中に、そんな感覚ですかね。自分はこっちではない、仕事をしようと決めてるというよりも、その一択で進んじゃってるっていう。就職して東京で暮らしてた時もそうでしたね、平日仕事をしながら週末DJをするみたいな。』
そういう生活を何年ぐらい続けられたんですか?
『約10年ですかね。』
その10年間、どういう風に過ごされたんですか?面白さとか苦労とか、どういう風に成立させた話などあれば。
『基本的にDJしかやってなかったので、楽曲制作はほぼやってなかったので、平日仕事帰りにレコード屋さんに寄ってレコードを買って、週末はクラブに遊びに行くかDJをするか、このサイクルが割とずっとうまく回り続けてた感じですかね。』
そのルーティン生活は成立してたと思われますか?
『正直そのサイクルは破綻してなかったですね。金曜日か土曜日の夜に出かけて、日曜日は休んで、また月曜日からスタートするみたいな。』
途中で立ち止まって考えるみたいなのはなかったですか?
『無かったですね、ずっとそれで回り続けてましたね。』
充実してたと。
『充実してたと思います。生活に困らないぐらいの収入があって、ケチらないぐらいのお金に余裕はあって、週末はDJをする、その満足感はあったんじゃないですかね。』
やりたいことは音楽活動だったんですか?それとも仕事もやりたいことで、両方やりたいこと、どちらなんですか?好きな音楽活動をやるために仕事してるっていう感覚ですか?副業という位置づけなのかそれとも両方やりたいことで、両方共が成立してるということですか?
『やりたいことは音楽だと思います。それがあるから東京にいたという感じじゃないですかね。それが無かったら仕事も成立していないというか、東京の会社に就職して行くんだって決めたのも結局東京にたくさんいいクラブとかいいレコード屋さんとか、そういう理由が一番大きかったですね。それがあるから東京で働けて東京に住めるみたいな。』
そうなると音楽系の会社に就職でなくても、東京にある会社ならどこでもいいってことになりません?週末の音楽活動のために平日の仕事が成立してるわけですし。
『仕事自体は月金の仕事で大変でしたし、ストレスはかなりかかってたと思います。そのストレスは週末のクラブでDJしたり遊びに行って解消していくみたいなサイクルです。月金仕事をして週末DJをしてよくやってられるねって言われたことはありますけど、逆に週末の活動がなかったらやってられない感覚はありました。』
ストレス発散でDJをやっていた?
『もちろんストレス発散だけでやってるわけではないですけど。』
副業をやりながら本業をやっている人は周りには多かったですか?話を聞く限り会社で会う人とクラブで会う人はそれほどリンクしてこないように思いましたが。そういう話をする人が周りの友達にいましたか?
『多くなかったですね。』
言ってしまうと昼の顔と夜の顔を使い分けるみたいな側面がありそうですが。
『昼の仕事に安定感があると安心してたと思います。うちは公務員家庭というか学校の先生が多い家庭で、父は会社員だったんですけど、母は学校の先生で、母方のおじいちゃん、父方のおじいちゃんも学校の先生でした。公務員を見て育ったので平日仕事があって安定してるというのを見て育ったので、そっちがある方が人生いいみたいな、安定した何かがあって、余力で何かやるというか。』
バランスは取れてたと思われますか?
『10年間やったんですけど、正直そこまでバランスは崩れなかったです。昼と夜どちらかをおろそかにしてたかというとそんなことはなかったので。どっちも全力注いでた感じだったので。その当時は気づかなかったですけど、今思うと営業職をやってたんですけど、あまり適職ではなかったかなとは思います。しょっちゅうお腹壊してましたし。東海道線で横浜から品川に行く間に猛烈にほぼ毎日のようにお腹が痛いとか、最初の数年ですけど、そこからもう満員電車に麻痺するっていうのを覚えてくるので、嫌だなというより無になっていく感覚というか。逆に満員電車がスペースがあるよりも詰められるだけ詰められる方が動くスペースが無くて丁度いいみたいな感覚になってましたね。』
会社勤めは辛いと。
『そうですね。会社のいわゆる上司の人からしても僕はあんまりそんなに優秀ではなかったと思います。今から考えると。』
そう思われる何か具体的な出来事があったのですか?
『何か具体的に言われたことはなかったですけど、こいつをどうしようかなみたいに思われてるなあという感覚はありました。』
思い込みとは違う?
『どうなんでしょう、思い込みの面もあるとは思います。』
大手の企業ですし、会社の方からクビには出来ないですよね。
『仕事する席はあると思います。』
本業の昼の仕事は安定していますし、会社に居続けてるわけですから昼の顔に執着してるって感覚ですか?それとも副業の夜の顔がないとこの生活は成立しないという意味で、夜の顔にこそ執着してるって感覚ですか?例えば副業だけになるとどうなるって思われてましたか?
『それはそれでその当時は東京では夜の顔だけだとやっていけないだろうなっていう感覚がありました。夜の顔だけでやってる人って当時数少なかったですよね、でもそれも思い込みだったかもしれません。』
少し言い方を変えると本業が昼の顔だとして、副業が夜の顔だとして、本業を成立させるには副業がないと困りますというので本業があって副業があって、副業を成立させるには本業がないといけない、そのバランス感覚というかそれを10年続けてこられたわけですけど、本業でも副業でもどちらでもいいですけど、どちらかがある日突然無くなると、どうなっていたと思いますか?
『その時は両方ありきだったと思います。月金の方の生活の基盤があって、その中で週末があってそれがひとつで成立してたと思います。もしその時昼がなくなってたら、うわあどうしようと、仕事探してたんじゃないですかね。仕事がなくなってたらと思うし、逆に夜がなかったらじゃあ東京に居る意味があるのかなみたいな感じには間違いなくなってたと思います。』
副業も軌道に乗ってたわけですよね。本業と副業をこなす生活は自分にとってどうでしたか?
『ううん、特に後悔もないし今の生活をやっていてあの生活をやっといて良かったなって思うことは結構あります。全部繋がってると思うんです。あとから振り返ってみるとあれも必要だったのかなみたいなのの繰り返しみたいなものが続いてるって感じがするので人生って。』
違う角度から同じ質問をしてみると、二つの世界をひとつと捉えられてたようですが。
『今ドイツの税理士事務所で働いているんですけど、そこに自分を馴染ませていくっていうのに関しては、その時の経験が活きてるって思います。それは良かったと思っています。』
現在も東京で暮らしていた時のように、本業の昼の顔と副業の夜の顔があるってことですか?昼間は税理士事務所で働き、週末は音楽活動を続けてらっしゃると。
『そんなことはないですね。新しい家族が出来たので構成が違います。』
新しい家族を含めた質問ではなかったのですが、ちなみに今は何をやってらっしゃるんですか?
『簿記係ですかね。要は税理士事務所って税理士さんが居て、ライセンスを持ってる税のアドバイザーがいて、企業向けの簿記係とかいるんですけど。自分は簿記係でお客さんに書類を渡されてそれを記帳していくっていう。』
日本でいう副業の夜の顔は日本でやってきた音楽活動ですよね。
『そうですね、音楽も。』
構成が違うってことだったのでそれ以外では他に何が?
『一番大きく占めるのは家族ですかね。週末家族に使う時間は大きいですね。』
ざっくりいうと三つの世界が同居している?
『そうですね。』

 

東京で先ほど話されたような生活を続けながら、2011年にベルリンに移住されたわけですけど、そこに至った経緯を教えてください。
『一番きっかけの所に戻るんですけど、それこそ僕が高校時代の頃からベルリンは特別な街というか、エレキング(エレクトロニックミュージック全般を扱っていた音楽雑誌)を見ててラブパレード(ベルリンで開催されていた野外レイブパーティー)の特集とかをやってて、ベルリンには街中を爆音でテクノを鳴らして100万人が集まるお祭りがあるらしいという記事を読むと、すごい街なんだなっていうのが高校生の時からあったんですよね。初めて海外旅行に行ったのも迷わずベルリンだったし、そこから働き出して年末やお盆のシーズンに1週間なり10日なりの休みがあると大体ベルリンに旅行に来てましたね。』
旅行で来られた時は何をされてたんですか?
『それこそクラブに遊びに行ったり、レコード屋に行ったりですかね。』
移住を決意される何か大きな出来事などあったら教えてください。
『ありましたね。旅行に来たときはここに住みたいなとは全く思わなかったんですよ。強いて言えば一番最初に海外旅行に来て初めてベルリンに降りたった時に初めての海外旅行なのになんかこの街落ち着くなって思ったのはめちゃくちゃ覚えてますけど。この街はなんか全然肩の力抜いて良さそうみたいな。初めての海外旅行で肩張ってたのに。2010年にまたベルリンに来た時にここで日本人の方々はどんな暮らしをしてるんだろうって気になって、ベルリンのいろんな友人や先輩に連絡を取って家に遊びに行ったりしてみたんですよ。先輩の家に遊びに行った時に100平米以上の家に何人かで住んでいて、どでかいホールみたいな居間があってビリヤード台が置いてあって東京での生活と違いすぎるのにびっくりして。こんな暮らしをしてるんだって衝撃を受けて、カルチャーショックっていうんですかね。何人か他の友達の家にも遊びに行かしてもらったんですけど、家が広いし天井も高いし。その年に初めてベルリンでDJをさせてもらったんですけどクラブの盛り上がりもすごくて。それまでベルリンにはすごい興味があったんですけど、それこそ、いまではベルリンは都市化が進んでると思うんですけど、その当時ベルリンに住んでた友達が、ベルリンはもう昔のベルリンじゃないからねって、どんどん変わっていってるっていう話があって、そうなんだと思って聞いてたんですけど、クラブの盛り上がりを見てみたら、人から言われたことを真に受けて同調してるんじゃなくて、自分で経験してみないと終われないなっていう風に思ったのが一番大きな出来事でしたかね。』
クラブでの体験が大きかったのですか。
『そうですね。』
極端にいうとそういった経験をするのは日本に住みながらでもベルリンに遊びに来てDJすることもできるじゃないですか。実際に2010年にされてるわけですけど、わざわざ移住して生活の拠点をベルリンに移さなくてもいいという判断もあると思うんですけど。日本で充実した生活を送られているんですよね、何があってそこに結びつくのですか?
『でもやっぱりそれは高校生の時に電子音楽に出会って、大学生の時にDJを始めて、東京に移住してもずっと続けてたので、やっぱりやるんだったらここでやらないと終われないなっていう風に思ったのが一番大きいですね。』
日本でも終われると思うんですけど、なぜドイツ移住に拘ったのかっていうところをもう少し聞かせていただけるといいのですが。
『やっぱり自分の中ではテクノイコールベルリンみたいなものがあったと思いますね。』
ドイツに移住されると日本と違っていちからですから、生活の基盤は日本と比べると何もない。日本では本業の安定があって副業の夜の顔があってそれで成立してたわけですが、やりたいことは副業の夜の顔で、それを成立させるには本業の昼の顔が必要ということで日本では充実されてたわけですよね。実際に日本での生活に充実されていたのにそれを飛び越えて移住されるわけですけど、今から考えるとあたまが少しおかしくなってたとか、仕事で行き詰まってたとか何かあったんですか?日本で生活しながら音楽活動でもいいと思うんですけど。
『仕事で行き詰まってる感じはありました。大事だなと思ったのはやっぱり経験がものすごく大事だと思ったんですよ。この街で音楽をやってみたいというのはきっかけとしてあったんですけど、当時会社に就職して10年ぐらい経っていて、このまま40歳とかそれより歳をとったら色々状況とか精神状態も変わっていて、その時にもうベルリンに行くという選択肢になってないかもしれないって思ったんですよ。独身でしたし今しかないかなって思ったんですよね。』
移住するとなると生活は変わりますよね。
『当時は一回ゼロにして次にいきたいみたいな。今の生活を全部ぶった切って終わらせて次にいきたいみたいな。』
リセットですか。
『そういうのに憧れてはいましたね。』
充実してるのに煮詰まってるということかな、アイデンティティークライシスに近い。
『背水の陣にしたがるというか。』
もともとそういう性格なんですか?
『そうですね。突然むしゃくしゃしたらいきなり丸坊主にしてみたりとか。』
突発的なことは以前にもされたことあるんですか?
『割と突発的なことをやるタイプだったと思います。ゼロか百かにしたがるというか。だからその多分あんまりそのちゃんと考えてこの日本でこの生活を続けながらドイツでもうまくやれるやり方ないかなとかあんまり考えてなかったですね。当時はそうだったですね。』
それを象徴するようなエピソードとかあれば教えてください。
『象徴するかどうかわからないですけど、何度もベルリンに行ってるのに住もうと思ったことがなかったっていうのは、例えば他の人より思い込みが激しかったほうだと思うので海外に自分なんかが住めるわけがないって思ってたんですけど、海外に住んでいる日本人と接してみたら、海外に住んでいる日本人がいるっていうインプットが入ったことで、オフからオンにバチっとスイッチが変わってしまう感じですかね。あっ住めるんだみたいな。そういう意味で言ったらこれも勝手な思い込みとかもあると思うんですけど、ベルリンに引っ越すって決めた時に実家に帰って親の前で正座して自分は会社を辞めてベルリンに行くことに決めたと、これはもう決めたことだからもし家族に取って否定するべきことであったら勘当でもなんでもしてくれと言ったんですよ、これも言ってしまえばゼロか百かみたいな考え方で。』
親は何と言ったんですか?
『ぽかんとしてましたね。』
何でそういうことをしたと思われますか?30歳を過ぎた大人ですよね。そこまで大袈裟に親に話すことでも無いんじゃないかと思うんですが。
『なんでこんなことをしたんだろうと最近掘り下げて考えたことがあるんですけど、親が喜びそうな人生をドロップアウトしてすみません、みたいな感覚です。』
実際に親にこういう生活をして欲しいと具体的に言われていた?
『今まで、多分それまでは言われてなかったと思います。』
だったら違うんじゃないですか?
『そうですよね。最近親と自分のドイツ語のスキルについて話す機会があって、自分はまだまだドイツ語を勉強中なんだよねって話をしたら、親が10年以上住んでてまだそんなのですかって言われた時に、親は褒めてくれないんだと思ってる自分がいて。てことは逆を返すと俺ってまだ親に褒められたいって思って親にこういう話をしてるんだというのに気づいて、それを遡っていくとベルリンに移住するのを決めるまで、ずっと親に褒めてもらいたくて、こういうことをしたら褒めてくれるかもしれないってのでもしかしたら人生決めてた気がするなと思ったんですよ。そうなると思い出してきたのが、一番行きたかった大学の受験に落ちたんですけど、実家の食卓でご飯を食べてて、なんとか大学の受験落ちちゃったって言ったら、親にどうしようもない、馬鹿だなみたいな感じで言われたんですけど、その時に「誰のために頑張ってると思ってるんだ!!」って箸を投げちゃった記憶があって。今から考えるとこの人たちに褒めてもらいたいっていうか、この人たちが望んでると勝手に思っているであろう人生を生きているみたいな感覚に近い、多分ベルリンに移住するっていうのが、本当に多分30歳を超えて初めて自分で自分の人生を決めた瞬間って感じだったんで、多分それが親の前で正座してベルリン移住を説明するってところに繋がってると思うんですけど。』
充実している日本の生活を全否定してしまう。
『否定っていうよりもゼロにしちゃうって感じですかね。リセットするような感じです。ただ今はちょっと感覚違いますけどね。リセットする必要はなくて全部繋がってるからその感覚は薄いですけど、当時はそういう感じで生きてましたね。』
ゼロか百かで判断される中でベルリン移住を決めたわけですけど、他に何か具体的な出来事とかあれば教えてください。
『直接のきっかけではないですけど、それこそ2011年3月11日の東北地震、福島原発事故もあって、ベルリンに移住したのはその半年後ぐらいだったので。』
東京に住んでたんですね。
『自分はその時渋谷センター街のど真ん中にいて、テクニークというレコード屋さんでレコードを聞いてる時に地震があって、店の外に出ろって全員で避難して店を出て行って、周りのビルがゆさゆさ揺れているのを見て、これはもう自分死ぬのかなって思って。その時まで自分が死ぬって意識したことが一回もなかったんで、人生って死ぬってことがあり得るんだって初めて認識した瞬間だったから、これは人生次の瞬間死ぬかもしれない可能性があるってことは、やりたいことがあるんだったら絶対経験しといたほうがいいんだろうなっていう感覚がものすごく芽生えたのはありました。後発的な話ですけど。あとは仕事も先ほど営業は自分の適職ではなかったかもしれないって言ったと思うんですけど、なんとなく10年ぐらいやってるとこういう人が出世するんだろうなっていう人が見えてきて、自分は自分の歳下の人が自分を超えて上がっていくのを見たりして、自分は多分違うんだろうなっていう感覚もありましたし、会社の方でも悩みみたいなのはありましたね。後輩が自分より出世してみたいな。これしかないっていうよりいろんな要素が絡み合ってるので、もちろんドイツの音楽とか文化に対して刺激を受けたりとか、住んでる人たちの雰囲気を見たりとか、日本の生活を一度変えたいってそこらへん全てが入り混じった感じでした。それこそ海外で暮らしたこともなかったので何もなかったですし、ただ来たら色々助けてあげるよって言ってくれる方々は日本人でこっちに既にいっぱいいたし、いろんな人にお世話になったんで。』
ドイツに移住するって決める時は友達や周りに相談されましたか?
『週末の友達はテクノやってたらドイツだよねって感覚はあったと思いますけど。周りは応援モードだったと思いますね。生活する怖さとかそういうのはなかったです。あとはこれぐらいお金をためて行けば不安にならないだろうなって額を決めて、その目標を達成してから行ったので、それもあって不安はなかったですね。』

 

ベルリンに移住された時は音楽活動だけで生活されてたんですか?
『最初はそれだけしかやってなかったですね。ベルリンに移住してから音楽を作り出して。』
実際にどうでしたか?
『ううん、最初の数年割と回ってたとは思うんですけど。』
終われないってことを始められたわけですが。
『終われないというか、人生終われないっていう感じですかね。音楽活動を終わる終われないという感じではなくて、人生この経験しないと終われないって感覚ですかね。』
どれぐらいの期間音楽活動だけをされてたんですか?
『それこそ他に仕事をしていない期間で言ったら6、7年ぐらいはやりましたね。』
実際にどうでしたか?
『楽しいところもあり、大変なところもありって両面かなと思いましたね。楽しいところは単純に自分の好きな音楽に全振りできるっていう。それは充実した時間だったと思いますし、あとはそれをやった期間というのは独身だったので、自分の好きな時間例えば夜なら夜で好きなだけそっちの方に時間を注いでおけるみたいな感覚でやってられるので楽しいです。大変なところは例えば一番辛いなと思ったことは、ベルリンに来てから曲を作り始めたんですけど、それこそDJだけをずっとやっていたので、自分で曲を作り出した時の曲のクオリティーの低さに愕然とする感じですかね。いいインプットだけものすごく入っちゃってるので、もっと出来るみたいな、根拠のない自信がある感じというか、俺にはできるはずだみたいな、実際にやってみたらやばいみたいな。これは自分がものすごく好きなレコードとのこの今自分が作ったものとの差を埋めるのに、その時は埋めれると思えないみたいな。これもまた今もちょっと違う感覚ではあるんですけど、移住して来た当初は理想とするイメージとして、アーティストの一つの形として、DJとしてのクオリティーと楽曲制作のクオリティーが、どちらも拮抗してるような高い位置を得たいというのが理想としてあったんですけど、曲を作り始めてみたらやばいなこれはと。全然だったのでそこで悶々として、でももうやるしかないみたいな、やるしかないっていうよりもとにかくもうやり続けようみたいなところでやってた時期が、ちょっと楽しいから外れて、本来は楽しい作業であると思うんですけど音楽を作るというのは。ちょっと楽しいから逸脱してた頃は結構あったと思いますね。プロセスは楽しかったりするんですけど、アウトプットとして出て来たものを聞くと辛いみたいな感じですかね。その当時は何を作ってもまだ完璧じゃないって感覚がものすごく強かったというか、こんなんじゃないこんなんじゃないがずっと続いてく感じをずっとやってる感覚だったんですよ。自分の実力というか、思い描いているような完璧さと自分が作ったものの差に落ち込むみたいな感じですかね』
そのあとどうされたんですか?
『とにかくやってましたね。なるべく冷静に考えるようにして、出て来たアウトプットがこれだと、これを一段上に押し上げるためには何が自分は満足してないんだろうかっていう感じで。それをカバーするためには自分は何をしたらいいのかみたいな、どんな手を使ったら一段上がっていくのかみたいなのを夜な夜なやってた感じですかね。』
一段上に押し上げるものは見つかりましたか?
『それは常に見つかる感じですかね。見つけ続けるサイクルって感じですかね。ただやっぱりずっとやってたら最初はいわゆるデモソングを作るわけじゃないですか。デモトラックを人に聞かせるっていうのがめちゃめちゃ苦手で。作ったはいいけどあんまり人に聞かせられないみたいなのがずっと続いていたんですけど、途中から勇気出して聞いてもらったら、自分の好きなアーティストやレーベルからいいねって反応が帰ってくるようになってきて、それで少しだけ自信がついてくる、ちゃんとレベルアップはしてるんだ、よかったみたいな感覚になってくるって感じですかね。自分が自分で作ったものに対してもう既に自分が知っている好きな曲との差がこれだけあるっていうのをものすごく感じているから、人に聞いてもらっても自分だったらこう思うっちゃうだろうなっていう感覚があるんで、聞かせられないですね。』
自己完結しすぎていると自分で思われたりすることはありますか?
『だから多分自分の中で完結するところはあったんだと思います。今でももちろんそういうところはあるかもしれないし、一方でそうでもなくなってきてるところはかなりあるんですけど、そういうタイプであったことは間違いないです。自己完結するタイプというか。終われそうか終われないかで言ったら、もっと感覚的には正直別に終わらなくてもいいんじゃないぐらいに思っているっていう感覚ですかね。なんていうんだろうな、そんな別にストイックにならなくても好きだったら続けたらいいんじゃないっていう感じに思ってるっていうそっちの感覚に今は近いって感じですかね。』
移住を決める際に終われないって思われたことは経験されましたか?
『してないでしょうね。してないと思います。なんなんだろうな。なんなんだろうかと言われるとベルリンに来て自分も音楽を作りたいんだって作り始めた時に、やっぱり自分が憧れてた人の音楽のようなものを出したいみたいな感覚、それをやれたかといわれると自分はやれてないと自分は思っているので、楽曲制作とかそこらへんは今の生活の中でやっているので、やっているってことは続いてて終わってないってことなんだろうなと思いますね、現在進行形で継続中ですね。』
現在ベルリンでは日本で生活をされていたように本業があって副業があって、その時から進化されたような生活があるという風に見えるのですが、現在この生活になった何か出来事やきっかけは何だったのですか?
『こうなるきっかけは間違いなく結婚して子供ができたというところですかね。それが一番でかいと思いますね。自分ではそうは気づかなかったんですが、うちの奥さんが妊娠した時に今後生活のスタイルや構成とかも変わるから何か定期収入があったらいいよねって家族会議であって、自分では東京でのサラリーマンの経験が合ってたのかなみたいなところもあったので、オフィスで働くような仕事っていうのは全然考えてなかったんですけど、妻の方から頭使って仕事をする方が向いてると思うよみたいな。いわゆる日本食のレストランで働くようなことは向いてないと思うから、接客とか、頭使って頭脳を使った方がいいと思うよって言うので、それでそうなのかなみたいな感じになって、そこからですね、日本人の友達が今働いているところで税理士事務所で働いていたんですけど、ちょうど辞めるタイミング、辞める予定ですって言ってたんで、じゃあもし良かったらそのあとに席が空いてないかなって言ったらそこの今のところの社長さんを紹介してくれて。その社長さんと面談をしたらドイツの簿記のコースまで終わらせてきたら席空けといてあげるよっていう風に言ってくれたんで。そこからジョブセンターから学校に無料で行けるチケットをもらって、ドイツ語の学校に行き、簿記のコースにいくためにはドイツ語のB2まで終わらせておかないといけないので、まずはドイツ語のコースを終わらせて、TELCのドイツ語の試験もとおって、そこから同じ学校の簿記のコースに行ってって感じですね。本当は1年ぐらいで終わるはずだったんですけど、コロナ禍でロックダウンやら何やらで、2年ぐらいはかかったんですけど、全部の行程が終わるまでは。その間1ヶ月ぐらい事務所でインターンをやったりしながら終えて、2年かかっちゃったんで、流石に席なんか空けといてくれない可能性あるなと思って、学校もう全部終わりましたって言ってそこに行ったら、お疲れ様って正社員の契約書を出してきて。とりあえず契約しようみたいな感じで言ってくれたんで、今働いてるって感じですかね。』
税理事務所を就職先に選ばれたのは成り行きだと思われますか?
『職種に拘りはなくて、成り行きはでかいですね。ただ税務に興味はありましたね。そこ知ったらドイツでの生活に大きなアドバンテージがあるだろうなっていうのはちょっとありましたね。ベルリンに引っ越してきた当初はどっちかというとそういうかっちりしたところにいるような生活は、それこそゼロ百の考えでそういう生活じゃない生活がしてみたいみたいなところはあったんですけど。でも今いる事務所で働き出したら居心地はものすごくいいので、これなんかこの場所はこの場所で気持ちいいんだなって。』
例えば簿記の資格を持ってるからそれを活かせる先に就職するっていう流れがよくあるケースだと思いますが、無いものをわざわざ取得して何かをやる、やってきたことも継続されながら、意地悪に言えばつかみどころのない、何がやりたいのかよくわからない活動が本質をついてるなと。自己完結されるタイプとご自分でおっしゃってましたけど、人の話をちゃんと聞いて言われたことはやり通す能力の高さと、わざわざ勉強して全然違う世界に飛び込むモチベーションが独自のバランスで成立してますよね。
『確かに自己完結はしてる。もしくはしてたタイプだと思うんですけど。素直な方だとは言われるので。人間って色んな要素で成り立ってると思うので、相反するような要素は持ってると思いますけど。その時思ったのはドイツの会社で40歳に近い自分に学校行ったら席空けといてあげてるよなんていうオフィスは、日本人でサラリーマンをしてた日本人的感覚からいったらまず出会わないだろうなって思ったんですよ。例えば自分が日本の会社勤めで、あまり日本語が得意じゃない人が40歳ぐらいから会社に入ってくるっていう絵があまり想像出来なかったので。』
業務内容というよりその事務所の人達との繋がりが大きいですか?
『ありました。全然知らない世界に飛び込むのは結構好きです。あと確かに僕のことを気に入ってくれたっていうのもあると思います。誠実そうに見えるなこの人っていうのはうちの社長は感じてくれたとは思います。』
実際に誠実だって言われたんですか?
『言われたことはないですね(笑)。わかんないですよね。でも思い出しました。前にその事務所で働いていた僕の友達が辞める時に社長さんに僕のことをめちゃくちゃお薦めしてくれたんですよ確か。功司はめちゃくちゃいいからみたいな。信頼できる人だから大丈夫だからみたいな。』
いいお友達を持ってるんですね。
『人にも恵まれております(笑)。』
日本で本業の昼の顔と、副業の夜の顔を持って生活されてきて、ベルリンでは副業だった夜の顔を本業として生活されてきた中で、現在はざっくりいうとまた日本での生活に近い生活をされてるように見えます。ドイツと日本での働き方の違いについて教えていただきたいのですが、二つの国で似た生活をされたうえで何かエピソードなどがあれば。
『ドイツで働いてみて、会社をいっぱい渡り歩いた訳ではないので、日本でもベルリンでも、一概には言えない大前提があるかもしれないですけど、生活における仕事の比重が、頭の中での優先順位が、日本よりも全然低いなって思いましたね。ドイツの方が。頭の中で仕事のことを占めてる比重がだいぶ低そうみたいな。もっと生活とか家族とかそっちの方が前の方に来てるかなみたいな。大きな会社とかに行ったら分からないですけど、ストレスがかかってるなこの人みたいに見える人が全然居ないですね。ストレスをかけようとしてる人も居ないし、かかってつぶれそうになってる人もいないみたいな。』
そういう人は日本では沢山見てきましたか。
『そうですね。潰れそうとまでは言わないですけど。生活の中の優先順位の大部分は仕事が占めてるって感覚ではありました。自分もそうだったし。こっちだと仕事が終わったらスパっと帰りますし、あんまりなんかこれをやらなきゃってずっと延々残るって文化もそんなに無ければ、時間が来れば帰り、休みたい時に休み、予定を事前に立ててですけど、休みたい時は休むみたいな感じで。自分も子供の病院とか結構予定あったりするんですけど、同僚は快く行かせてくれたりとか、仕事イコール人生じゃない感みたいなのが強い感じは、ドイツ、こっちで働いてみてその感覚はすごくありましたね。』
それだけ聞いてると日本で働くよりドイツで働く方がいいってことになりますよね。
『背負う責任が日本だとでかいって感じでしたかね。』
意地悪な聞き方をするとこっちだと責任がないってことですか?
『そうですね。社会全般にちょっとこっちだと言えるかもしれないですけど。みんなあんまり責任背負ってないなみたいな。もうちょっと気楽にやってるみたいな感覚は。』
責任って何の責任ですか?
『ううん(長い沈黙)。これは自分がやらないと自分の責任であるとか、これがダメだったら自分の責任になるとか、そういう感覚が日本よりも薄い気がします。なんなんですかねこの感覚。日本よりこっちの方が軽いって感じです。重いというより軽いというか。』
ヨーロッパは日本に比べて個人が重視されますよね。
『そうですね。確かにそれだと矛盾しているというか。自分も確かにヨーロッパの方が個人主義が強いと思うので、間違いなく、個人の責任で色々やりましょうねっていう感じなんですけど。でもなんだろうな、周りからの圧力は少ない感じはします。それが多分軽さに繋がってるのかな。感覚としてのっていう感じはありますね。例えば自分も仕事とかしながら出来ない部分とか分からない部分、ここらへんまでにやっといてって言われてやれなかったりする部分がたまにあったりするんですけど、怒られるってことは無いかなという状況ですね。なんでやれなかったのかっていうのは説明はするんですけど、じゃあなんでやれなかったのか、どうするの、どう思ってるのみたいなそういう感じのプレッシャーのかけ方は無いですね。』
アプローチや単に仲間に対する考え方の違いだけに聞こえるんですが。個人が確立されてるから言わないけど、自分と違うとか出来なかったら単に分からない人だって見る別の厳しさがありそうですが。
『それはあると思って仕事してるところはありますね。要は周りからのプレッシャーは無い代わりに多分この人はこのくらいのレベルだ能力だとか、何かを整理する時に、例えば人員とか。それは多分ドライにもう終わりですっていう風に言ってくるんだろうなって感覚はある前提でやってますね。だから手は抜かないですね。なんかその怒られないから手を抜いといていいやっていう感覚では絶対やらない方がいいんだろうなこの社会はっていう風に思ってやっていますね。』

 

日本で感じられていた責任というのが軽いって理解したのですが、日本で言われている責任みたいなことも含め日本とドイツでの働き方の違いについて、良いところや悪いところを教えていただきたいのですが?
『休みに寛容。』
それはドイツの良いところですか?
『こっちの良いところですかね。日本はちょっとやっぱり休みにくかったですね。もちろん権利としては間違いなく認められてるんですけど、年間の有給を消化してる人は多分ほとんどいなかったのかなと思いますし、こっちの方は休むってことに罪悪感っていうのが多分全く無いですね。病気、病欠とかやっぱりみんなその体調悪かったらもう普通に休みますし。なんかどっちかっていうと体調悪いのに押してきてるっていうのがあまり理解されないっていうか、評価も多分されないんじゃないかみたいな感覚はあります。嫌がりはしないですけどなんで病気なのに来てるの?って不思議がられる感じというか。』
NECはブラック企業だと。
『そういうわけではないですけど(笑)。個人的にドイツの働き方でいいところで言ったら一番でかいのが、今やってる仕事が楽しいっていうのが結構一番でかいですね。それこそ20代東京に居た時に一回簿記の資格を取ろうと思って一回勉強したことがあるんですけど、簿記の三級を、ちんぷんかんぷんで意味が分からなかったんですけど、今回その簿記のドイツの学校に行ったら、結構理解出来るんですよ聞いてたら。なんか面白いみたいな感じになってきて。仕事をし始めたらなんか結構楽しいなみたいなこれって感じになってきて、それは正直一番デカイかな。ちょっと正直僕は東京で働いていた時にはなかった感覚というのがありましたね。』
ドイツの良さっていうより簿記の良さですか?
『えー、そうですね(笑)。』
ドイツでも日本でもこれどうかなっていう悪いところは、例えば簿記の悪いところでもいいですが。
『いややっぱりあれですね。これは成り立ってるからあんまり別にいらないと思うんですけど、ほうれん草みたいな文化がないですね、ドイツは。ほうれん草って日本にはあるんですよ、報告、連絡、相談っていうのを(笑)。』
それってほうれん草って言うんですか。
『そうですよ。社会人の基本って言われてる(笑)。』
ほうれん草はどこで習うんですか?
『それはでも結構サラリーマンだったら基本です。ほうれん草が大事っていうのは、報告、連絡、相談をこまめにしましょうっていうのが。』
ほうれん草ちゃんとした?って会話は飛び交うんですか。
『いや、そんなそこまではないですけど。社会人としての教え第一歩みたいな感じですかね。そういうのをこまめにやっておきましょうみたいな。』
それが無いのがドイツの働き方の中でどうかなと、悪いと思われているところだとすると、それがあるとどうなると思われますか?
『そうですね、あんまりね、悪いというよりもそれで成り立ってるから、全然悪いところでは無いと思うんですけど。』
どっちなんですか(笑)。
『いやもう悪いところって言われてもあるかなって思っちゃうんですよね、ちょっと。』
無いと。
『なんかその、思い出したら言ってもいいですかね。』
では角度を変えて日本で働いて良かったところを教えていただけますか?
『ほんとに今から考えると、こっちと違ってものすごく根気良く色々教育してくれたと思います。人が。なんとかこいつをと、やっぱ情が深いんじゃないかなと思いますけど。多分仕事がその生活の中の多分すごい大きな比重を占めてる分、やっぱりそこで働く人をなんとかこいつをちょっと一人前にしてやんないとなあみたいな感じで接してくれる人は多かったと思います。』
会社の人材育成ですか?人間を社会のシステムに組み込んで最適化していく。
『そうですね。やっぱり今働いてても、割と放ったらかしというか、こっちが聞かないことには絶対向こうから来て、大丈夫色々分かってる?とかなんかそんなに言ってこないところはあるので。なんかほんとに根気良く付き合ってくれるっていうところでは、日本の会社のいいところだなあと思いますよね、はい。』
良くないと思う部分は?
『良くないと思う部分はね。良くないと思う部分。ありましたね確かにね、なんて言ったら良いのかな。ほんとにちょっと体壊すまで働いちゃうところって感じですかねやっぱり。体ってほんとに肉体的なストレスより精神的なストレスって一番人間ってくると思うんですけど、やっぱり遅くまで働いて、でも終わった後やっぱりどっか寄って飲んで、一回落とさないと帰れないとかって感じだと思うんですけど、まあそういう人達も多かったと思うんですけど。』
労働環境全般に対してストレスがありましたか?
『労働時間ももちろんあると思うんですけど、でも時間ってやっぱりそれも結局責任感とちょっと結びついてるなと思ってて。背負う責任感がでかい、でも背負う責任感が大きいと当然なんだろうな、自分から責任感を背負うっていうのと、背負わされるのと双方向で成り立ってる感じかなと思いますね。多分それは脈々とそういう風にやってきてる部分があるんじゃないですかねやっぱり。その、会社の上の方としては当然その下の方に責任というのはこのぐらいあるんだよっていう風に伝えるし、それを当然そうだと受け取るから個人の責任感も大きく頭の中に占める責任感も大きくなっていくというか、それで成り立ってる感覚。だからそうですね、自分も東京で働いてた時は結構眠れなかった生活多かったと思うんで、不眠気味というか、多分やっぱりその仕事で背負ってる頭の中で背負ってる責任感が大きいから、気がついたら常にそういうことを考えてたりするような。』
東京では夜の顔、副業があったわけですけど、ベルリンでも現在あるわけですよね。副業の良いところを教えていただきたいんですけど。
『夜の方の、副業の良いところは単純に楽しいっていうのがでかいとは思いますけど、東京でもベルリンでもどちらもそうですね、なんかすごい子供みたいな感じで申し訳ないんですけど。』
東京の夜の顔、ベルリンの夜の顔、副業の楽しいに違いはありましたか?
『そうですね(長い沈黙)。』
違う角度から聞くと例えば東京にあってベルリンに無いもの、東京には無くてベルリンにはあるものを教えていただけますか?
『違いを感じたところで言えば、さっきの昼の顔、本業での話と繋がるところあると思うんですけど、やっぱりこっち、ベルリンでやってると圧倒的に自己責任だなと思うことはあります。例えば音楽制作やDJの時に使う機材のトラブルとか、準備されているものとか、あの、日本とかだと何かこうトラブルがあったら、やっぱり、そこのクラブで、場所で、店長さんなのか、音を担当している方なのかがすぐ来てくれる感じがあったりとか、そういうのはあるんですけど、こっちだとやっぱりもう圧倒的に自己責任でやってくださいみたいな感覚はちょっとあったりしますね。ちょっとトラブルがあっても自分でハンドルしないといけないことがあったりとか、あの、割と先回りして準備しておいた方がいいなあと思うことは結構あったりします。用意しといたほうがいいものは自分でもう持っていっておいたりとか。』
東京とベルリンで一見すると似たような生活をされたようで、似て非なる生活をされてる、だとするとそこから東京にはこういったものがあったら良いなって思うことや、ベルリンにはこういうものがあったら良いなって思うことがあれば教えてください。
『そうですね(長い沈黙)。答えになってるか分からないですけど。あんまり別に、これがこうだったら良いのになあとか、こうして欲しいのにっていう感覚があんまり無いタイプなんですよね。それこそさっき言ったみたいに、だからその無理矢理その作って答えるのもあれかなっと思ったので、これがこうだったら良いのにってあんまり無いんですよね。例えばさっきの自己責任で色々自分でマネージングしないといけないっていうのも、なんかこうなってほしいというよりも、まあ向こうがこうだからこっちがこう準備していけば良いかみたいに取っちゃう方なので。』
ここまで自分なりに色々やってこられて、ここまでを振り返られてなんだったと思われますか?
『流れの部分ね、結構そうですね、うまいこといってるかいっていないかで言ったら、なんていうんですかね、つくづく思うのが、なんか人生って思いがけない方向に行くことが多すぎて、なんだろうな、なんか、うーん。』
このサイトは在日ドイツ大使館のサイトで、読者はドイツに興味がある人が大半です。ドイツに移住しようと思われて現在ベルリンに住まわれてるわけですけど、現在の生活も含めてドイツに対して何か思われていることがあれば教えていただきたいのですが。
『ドイツ自体は僕はもう個人的には居心地はものすごく良いです。はい。気分的にベルリンの雰囲気かもしれないですけど、なんかほっといてくれる街だなみたいな。干渉しない。それはもう来た当初から結構思ってて。お店とか行っても過剰に、全然日本とは違う接客っていうか、お客様と店員っていうよりも人対人みたいな感じで。』
ドイツに特化したものだと思われますか?
『まあでもベルリンから他のいわゆるちょっと観光地っぽい街に行ったりすると、結構店員さん優しいなあと思ってびっくりすることはありますね。』
ベルリンの店員は接客がなってないと。
『そういうわけではないですけど。ドイツの他の街は分からないですけど、比較するとでもこっちに来てドイツ、DHL(ドイツ郵便)とか、インターネットのプロバイダーとか、もう全然サービスとかあんま手厚くない感じとか、結構びっくりしたりとかして。日本だと違うので。でも逆を返すとなんかこれぐらいで社会が成立してるって結構楽だなと思っちゃって、なんか。』
ドイツをディスってると。
『違います、違います、違います(笑)。全然ディスってないです。気持ちいいなと思ってますね結構。なんかだとしたら自分も別にその例えば仕事でお客さんとかも相手しないといけない時にもっと自然に接していいんだなっていうそれぐらい、なんだ、人対人として接して大丈夫なんだっていう。なんか過剰にこう関係を作らなくてもそのお客さんと、例えばクライアントと会社の人とか過剰にそういうことをやらなくてもいいのでこうちゃんと出来上がってるんだなと思って。それは良い部分ですね。気が楽です。はい。ただまあじゃあドイツに今もう絶対骨埋めますっていう風に、あの、最初来た時はそのつもりで来たんですけど、もうちょっと気軽に考えてますね、ドイツ自体は今居心地が良いけれども、別になんか他の街がよかったら他の街でもいいかもしれないし、という風に考えてるところは結構ありますね、はい。』
ドイツやベルリンに拘りが無くなってきた具体的な出来事などはあったんですか?
『そうですね、まあちょっと、政治とかの状況見ながら、あの身軽に動けるぐらいの感覚でいた方がいいんだろうなっていう風にはちょっと思ってますけどね。ドイツは大好きですけど、拘ってはないです。なんでしょうね、絶対ここっていう風に思わないようにしているって感じですかね。あとそうですねドイツ語とかも好きなんで。』
自分が知ってる好きなエピソードに、米津さんがドイツの外人局に永住権を申請する際に、ドイツがどれだけ好きかをテーマに作文を書き提出したってエピソードがすごく好きなんですけど。
『(笑)書きましたね。そういえばね。そういうことをやりたがる人なんでしょうね、はい。』
実際にビザは取得されましたよね。
『そうですね、はい(笑)。取りましたね、はい。割とね、一撃で決めたいタイプなところはあると思うんですよ、なんていうんですかね、表現おかしいかな、ビザの面接に行くんだったらこの一発で終わらせたいみたいな。』
努力は好きですか?
『努力することは結構得意な方です。けどその努力を一回で仕留めたいというようなタイプですかね、その努力の結果をっていうところはありますね。』
面倒臭がりですか?
『えっとね、うん、面倒臭がりあると思いますね。そうそれもあるかもしれない。あの、ここの事務所で働く前にドイツ語の学校に行ってた時に、TELC B2が受からないことにはその次のコースにはいけないっていうところがあったんですけど、途中で、あのもうこれはちょっと自分今テスト受からないラインにいるなと思ったんで、もうその次の日から全部教室の一番前に座って、分かんないことを全部聞くようにしたんですよ。これは一回テスト落ちちゃったら、多分またテストの間に多分学力が落ちてくから、多分どんどん遠くなると思って、これ一発で受かろうと思って。だから多分それも面倒臭がり。そうもう何回もやりたくないから、一発で終わらせたいっていう感覚は結構近いかな。』
現状今の生活を続けられる予定ですか?
『はい、今のところはそうですね。はい、それでやっていって、一番この生活をする上でとりあえず当初の目標として今その子供二人居るんですけど、月にかかる必要な生活費とかその辺りは定期収入で得ておいてっていうのがあったので。まあそのベースは今達成出来てはいるんで、はい、それをまあ一応。』
東京で生活されてる時のように、現在は充実されてますか。
『今すごくいい状態かって言われると、もっとこうしてたらなっていうのはあります。あの、当然ながら音楽に割く時間が短くなったので、本来、あの、その痛し痒しじゃないですけど、もっとそっちに割きたいっていう風に今考えて動いてるところですね。いかに時間を作るかですね。もうほんとにこれだけって感じ。時間が無いなって言ってるよりかは、いかに時間を作るかっていうのにちょっと頭使おうっていう風に思ってるところですね。』
頭使うって言っても一日は二十四時間ですよね、全ての人に流れる時間は平等ですし無理があるテーマかと思いますが。現在四十歳を超えられたところですよね?
『そうですね。』
年を重ねると段々好きなことに没頭できる時間は色んな事情で限られてきますよね。大学の時に好きなだけDJをされて、何かに没頭できる時間はその年代ですよね。それをもう一度再現するには、それこそ、ゼロ百ではないですけど、得意技を発揮される、それしかないのでは?
『いやでも最近はね、そういう考え方はちょっと無くなってきた、薄れてきたと思います。それは多分昔の自分の考え方だと思いますね。一回リセットしたがる性格っていうのは、はい。だから多分それは自分にとって、いかに時間を作ってそれをやるかっていうのは、もう今の自分にとってのチャレンジ項目、完全に、はい。』
人の性格ってそんなに簡単に変わらないと思うのですが、夜の顔、副業の方は満足されてないっておっしゃってたと思うんですけど、だったらあっさり辞めるっていう選択肢とかっていうのは無かったりするんですか?
『それは無いですね、無いんですよ。だからそれが来る時があるのか自分でも分からないですけど、辞めてないっていうことは、多分まだ自分がこのぐらいまではやりたいっていうのがあるからやってるんだと思います。』
このぐらいっていうのは具体的に何かあるんですか?
『アルバムをリリースする、というところですね。まずはそこ。でも結局そうなったら多分その時には次のゴールが出てくると思うので間違いなく。でもそれは今は考えることでは無くてみたいな。いやなんかねえ、今自問自答してみたんですよ、辞めるってことに。なんかそういうのもあるのかなみたいな。もういいかこれも大変だからもういいやみたいな感じで思うのかなって思ったら、無いよって返ってきたんで無いです(笑)。』
最後に読者に向けてこれから自分が成し遂げたいことなど何かあれば教えていただきたいです。
『ちょっと話戻るんですけど、もうこっちに来て生活10年ぐらいして思ったのが、マジであの人生ってこう踏み出してみたら、なんか予想と全然思いがけない方向にめちゃくちゃいくなと思ってて。それこそこっちに引っ越してきた時は、まあ結婚して子供が2人いるとかそういう生活なんか全く想像してなかったんで。なんかそういうの考えてみると、なんかあまり実は目標はこれだ、なりたいものはこれだって今あんまりなくって正直、あの、毎日全力で生きる、毎日余力を残さず生きる。』
具体的にもう少し教えていただけますか。
『そうですね、いやなんか無理矢理作って話すのも申し訳ないなって、なんか申し訳ないっていうのはおかしいな、ちょっと変だなと思うので。』
元気な老人のような発言だったので。
『一個ありました。忘れてた。あの、さっきの音楽の話もそうなんですけど、どっかのタイミングで自分の培ったその税務の知識とかあるじゃないですか、それを僕もうちょっと仕事に活かしたいなって。ちょっとありながらやってるので仕事を。要はその日本人とかで例えば税務とか困ってる人とかがいたら、困ってるっていうか多分普通に考えると結構そこって生活のネックになるところがかなりデカいところではあると思うので、なんかその仕事始めた時もそれはちょっとビジョンとしてはありましたね、なんか音楽の話とごっちゃになったんですけど結局。並行してその昼の仕事をやってるひとつの目的は、もうちょっと独り立ちしてきたら、そういう日本人向けのお手伝い、できることとか始められたらいいなっていうのはありますね、はい。それは思ってます。なんか仕事しててその最初自分もチンプンカンプンだったんですけど、その税務とか、やっぱりちょっとやってると例えば確定申告の書類とかみた時に、大体書いてあることが分かるようになってくるんで、これ自分でも進歩してるんだなって思うところがあるので、なんかそういうの今後活かしたいって思ってますね。』
日本で充実されてた時と今とでは満足度に違いはありますか?
『そのバランスは結構違います。』
日本で生活してた時の方がよかったと思われますか?
『えっと、それは思わないです。なぜかというと、月から金にかけてる時間の、この仕事の部分が、これって楽しいなって思いながらやってるので。だから日本の方が良かったなとは思わないですね。』
日本では本業が辛く副業は充実されてた、ドイツでは本業が充実されてて副業は課題があると。
『はい、日本の時にはなかった感覚なんですけど。あのー、楽しいですね、なんか簿記の仕事ってちょっとパズルゲームに近い感覚があるんで。ちょっと誤解されてほしく無いんですけど、これはなんか、書類を受け取って、それをパズルのピースのようにあわせていくような感覚があるので、割とこっちでその仕事してると、あの仕事の続きをもうちょっとやりたいなあって思うことが結構ありますね、はい。』
最後にこのサイトはドイツの大使館が運営していて、若者向けのサイトですが年配の方も読者に多いそうです。最後に何か言いたいことなどあれば。
『無いです、最近無いんですよね、言いたいこと。このインタビューをすることでこう思ってほしいっていうのがそんなに無いというか、はい。何か感じてくれたら嬉しいですし、ふーんって思うのでもいいですし。』

 

ドイツでは生活における仕事の比重が日本より低いというお考えをお持ちの米津さん、日本と比べてドイツでは生活と家族の優先順位が仕事より前の方に来ている、休みに寛容だということを教えていただきました。

突然丸坊主をされるかもしれない米津さんとベルリンに、これからも注目していきたいと思います。

次回のテーマは『ドイツでの働き方、日本での働き方 パート2』です。

著者紹介

田中フミヤ

DJ,ミュージシャン 2022年現在ベルリンに在住。 https://www.fumiyatanaka.com/biography/ Facebook Instagram @fumiyatanaka.101

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