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『ドイツでの働き方、日本での働き方 パート2』

今回のテーマは『ドイツでの働き方、日本での働き方 パート2』です。

お話を伺ったのは現在ベルリンにある日本語補習校で日本語を教えられている木本紀子さんです。

日本では保育士として幼児教育に関わられ、その後オーストラリアで現地の人を相手に日本語教師を務め、ワーキングホリデー年齢制限最後の年に滞在したドイツベルリンで、再び子ども達を相手に日本語の教師をされる、というか単に子どもが好き過ぎて再び教育の現場に携わられている方です。

子ども達を虜にする術と日本とドイツでの働き方についてお話を伺えるということで、ベルリンKreuzberg地区にあるフードマーケットに出向きました。(2023年2月)

今日はよろしくお願いします。
まずは日本語補習校に携わられたきっかけを教えていただけますか。
『そうですね。2014年にワーホリでベルリンに来たんです。はじめは一年で帰るつもりだったので、日本で保育士だったこともあって、こっちの保育園とか見学できたらいいなって。』
『でももうちょっと居たいなって思って。その時にちょうど、その時はあるご家庭でフルタイムシッターをしてたんですけど、シッターしてる時にちょうど、そうだ日本語補習校に応募してみようと思って。ベルリンに補習校が2校あるんですが、どちらにも一応履歴書だけ送って。そしたらその時は年度途中だったので、どっちも募集してませんってお返事をいただいて。私も来年帰るしいいやってその時は思ってたんですけど、結局滞在を延ばすことになったあたりで、今勤務している中央学園から次の年度になる時か、まだ興味ありますかみたいな向こうから声をかけてもらって、勤務は2015年度からかな。』
ワーホリで来られたっていうのは何がきっかけだったんですか、というか簡単に経歴を教えていただけますか。
『まずもう小さい時から、将来の夢は保育園の先生になりたいって言ってたんですよね。自分の保育園の卒園アルバムに「将来の夢は保育園の先生」って書いてたんですよ(笑)自分が従兄弟の中で一番年上っていうのもあって、小さい子と遊ぶのが好きだったんですよね。そこからほぼ夢がぶれず、という感じです。なのであんまり将来の夢や進路で迷ったことがなくて。ずっと子どもに関わる仕事がしたいって思ってたので、将来何になりたいか分からないみたいなのを経験してなくって。特に迷いもせず幼児教育学科に行き、保育園に就職して、5年働いた後にそれまでやりたかったことが叶ってしまったから、急にあれ私何したいんかな、と思っちゃって。保育士の仕事はすごく楽しかったんですけど、今も問題になってますけど、すごくハードなんですよね、残業多いし。土曜の出勤も隔週であるし。っていうので、楽しかったけどちょっとお腹一杯になっちゃったというか、少しお休みしたいな、と。その時、ちょうど当時一番仲良かった友達がピースボート(世界一周の船旅)に乗るって聞いて、「えっ、いいな世界一周!」って。私も一緒に行こうかなって、ピースボートに乗ろうかな、って思ったんですけど、私はどちらかというと、いろんなところをちょこちょこ見るより、どこかに長期で滞在してみたいなと思いまして。その時にちょうどワーホリ制度を知った感じです。当時はワーホリ制度がある国が、オーストラリアとニュージーランドとカナダが有名どころで、今みたいになんかヨーロッパの国とかシンガポールとかそこまで入ってなかったんですよね。それだったら、英語圏で気候も良さそうなオーストラリアかなって思って、オーストラリアに行きました、25歳の時。』
仕事を辞められて行かれたんですか。
『そうです。保育士を5年間もうみっちりやったので。25歳で行って、1年経って帰国して、日本語教師の資格を取って、セカンドワーホリ制度でもう一回戻って、日本語教師を1年、メルボルンの日本語学校でフルタイムで働きました。』
その資格はオーストラリアで取られた。
『いや、日本でです。日本で短期集中。「日本語教師420時間養成講座」っていうのがあって、それを一番短期コースでめちゃくちゃみっちり勉強して取得して。2年目オーストラリアに戻って、友達の繋がりで日本語学校紹介してもらってそこで働けることになって、1年日本語教育に携わりました。その時は英語で日本語を教えていました。
しばらく子どものいる環境と離れてたので、辞めた時はもう保育士いいやって思ってたけど、やっぱり子どもとの関わりが欲しくなって、ワーホリが終わった後、日本に戻って、保育士をもう一回始めました。
でも、もう一回ワーホリでどっかいけそうだなって思った時に、私小さい時から絵本をよく読んでもらっていて、母がすごく分厚いグリム童話集を持っていたんですよね。それを読むのがすごく大好きだったんですよ。ヨーロッパの、そのお話の世界に、漠然と幼少期からすごい興味があって。なのでワーホリ制度を使える年齢のうちに、どうしてもヨーロッパに行きたい、行ってみたいって思いまして。幼児教育を大学で勉強してる時にも、ドイツは幼児教育進んでて、シュタイナーとかモンテソーリとかの教育理念も浸透してるよ、みたいな話を教授から聞いてたので。そういう理由もろもろで、行くならドイツだなって思っていました。当初1年で帰国する予定が、ワーホリ中に今のパートナーに出会ったので、そのまま滞在することになった、という感じですかね。日本語補習校勤務も、そのままずっと。補習校の仕事は、保育士の経験と日本語教師の経験と、今どっちも活かせてるのですごいラッキーだったなあって思います。』
幼稚園の時の将来なりたい夢が保育士だったんですね。なりたい職業があってそれに向けて学習していくってプロセスは自然ですし、正しい勉強の仕方を実践されてこられた。
『正しいかどうかは分からないですけど、幼児教育学科で短大に行ったので。今考えれば大学に行っとけば良かったかなって4年勉強しても良かったなとは思ったりはしますけど。だけどその時にしたいことに関しては短大で充分だと思ったので、その時に短大に行って、一応京都で就職率が一番いいといわれている短大に行ったので、就職には全然困らずすぐに決まりました。』
ヨーロッパやアメリカだと知りたいことややりたいことやなりたいものがあったらそれに向けて学ぶプロセスが日本より強いように思うのですが。
『個性を伸ばすみたいな感じですよね。』
学校の先生ってなんていうんですかね、学校って割と特殊な世界というか、先生って特殊な性格でないと務まらないというか、誰にでも出来るものではないと思うんですけど、その辺りについてはどう思われますか。
『特殊な世界だと思います。うちは、両親が二人とも教師なんですよね。』
あっそうなんですか、へえー。
『そうなんです。で、祖母がお習字の先生。弟も大学で教えています。割と教えることが好きな家族なのかもしれないです。なのでそもそもその「教える職業」が身近だった、というのもあるかもしれないですね。』
具体的に英才教育をされたような記憶は。
『ないですないです。うちの親は弟に対しても私に対しても、あれしなさいこれしなさい勉強しなさいって言われた記憶がなくて。好きなようにやったらいいよみたいな感じだったので。私が高校生の時に反抗期で全然勉強しなくなった時も、まああんたは最初から保育士になりたいって言ってたし、その行きたい道に必要な教科があなたの納得のいく内申点なんやったらいいんじゃないって感じで。
今、弟は大学で言語学の研究をしているんですけど、こだわりが強くておもしろい人なんですが。小学校の時におじいちゃんと一緒にお相撲を見るのにハマって、「お相撲の行司になりたいから僕は中学校を卒業したら東京に出て行司の修行をする」とか言い出した時も、親は特に何も言わず、それもいいんじゃないみたいな。彼のブームが去っても別に特に何も言わないっていう感じだったので、割とうちの親は多分その教育関係だったのもあって、多分良い例も悪い例も色々見ているからこそ、私達にはほんとに特に何も言わず、信頼してくれていたんだと思います。海外に行く時も別に反対もされなかった。自分のお金で行くんやったら別に好きにどうぞ、みたいな感じだったので、それはすごい感謝してますね。あれしなさい、これしなさい、みたいなのは全然なかったです。なので割とのびのびと育てられたかなって気はします。』
それが英才教育なのかもしれないですね。おばあさんも両親も先生で。
兄弟は何人おられるんですか。弟さんは何を。
『弟は今大学で働いて、言語学の研究をしています。まず最初は教員免許を取るって国立大に行ったんですが、そこで言語学に出会い、そこから京大の大学院に行って、京大の博士課程に進み、最近博士号を取ったんですけど、今は大学で働いてて。弟の性格はもう、突き詰める、好きなことに走っていくタイプ。』
(笑)サラブレットの血統が脈々と受け継がれてるようにお話を聞いてて思うのですが。
『でも学力で言えば、私は家族の中で一番頭が悪かったです。成績はクラスでも良い方だったので、一般的には多分悪い方じゃないと思うんだけど、うちの家族では、もう紀子はほんまに分かってへんなあみたいなポジションだったんだけれど。(笑)でも上手に育ててくれたなあとは思ってます。両親には感謝してます。』
お父さん、お母さんは小学校とか中学校とかどこで何の先生をされてるんですか。
『二人とも最初は小学校勤務です。父は理系の先生なので、その後中学校に行って。母はずっと小学校ですね。父は最後は中学校の校長で終わったかな、母は60歳まで現役で勤めて、今もパートで行ってます。』
好きでやられてる。
『そうですそうです。うちの親二人とも本当にそう。私が保育士の1年目ぐらいでしんどすぎて辞めたいって言ったんですよ。そしたら母に「石の上にも3年やから辞めるな」って言われ、また母に数年後、「お母さん3年経ったから辞めたい」って言ったら、「石の上にも5年」とか言う。(笑)「お母さん辞めたいって思ったことはないの」って聞いたら、全くないって言ったの。彼女はもうほんとに、多分父もですけど、ほんと好きであの仕事をやってるって感じです。』
日本で保育士として5年働かれて実際どうでした。その5年間というのはどういうものだったですか。
『やっぱり(沈黙)つまずきましたね。思った以上にハードだし、子どもと関わるだけじゃなくって、もうそこに保護者対応がついて来るので。当たり前だけど保護者対応のやり方とか、職員側も女の世界なので、友達以外の大人同士の関わり合い、先輩への気の遣い方とか、そういうのは苦労しました。私、それまでちゃんとしたバイトをしたことがなかったので、大学も門限付きの寮だったし、高校の間もバイト禁止だったので、なので社会人としてのイロハみたいなのはかなり叩き込まれたと思います。子どもとはもちろん当たり前に楽しいんですよ、子どもはどこでも可愛いけど。多分きつかったのは残業の多さとか難しい保護者の対応とか、女の世界って言われている中での自分の立ち振る舞いとか、そういうのはあそこで徹底的に自分が学べたので、今あそこで学んどいて良かったなっていうのはすごくあります。』
その時の面白かったエピソードや辛かったエピソードがあったら教えてもらえますか。
『そうですね、保育現場や女の世界あるあるかもしれないですけど、園長派か主任派かみたいな派閥とか、うちはそういうのがそんなキツイほうの園ではなかったけど、もちろん短大の同級生とかの話を聞くと、私よりもっと激しい園はたくさんあって。そういう園はグループに分かれてて、あなたどっちにつくのみたいなのを聞かれたり。』
それは割と直接はっきりと聞かれるんですか。
『らしいですよ。その園はね。私の園はそうではなかった。なんとなくでしたうちの園は。私はふらふらいろんなグループを渡り歩いてうまいことやってるタイプだったんだけど(笑)』
(笑)ふらふら大事ですよね。
『あとよく言われるモンスターペアレンツ、その保護者の過剰に攻撃的なクレームで実際にうちの後輩がもう病んじゃって辞めたことはありました。』
モンスターペアレンツってこれからもなくなりそうにないですよね。ベルリンの幼稚園なんか見てると、ストリートでも、子供がぎゃあぎゃあ泣いてようが、殴り合いしてようが放ったらかしじゃないですか。
『そう、色々と衝撃的でした。私日本での保育対応がやっぱり染み付いてるので、自分がシッター行ってシッター先の子を連れて公園で遊んでると、現地の保育園のグループと一緒になったりする。先生達はコーヒー飲んでパン食べて、その辺のベンチに座ってるじゃないですか。こっちの公園、遊具の隙間とかが割と広かったりするから、そこの園の子が遊んでる時にそこから落ちそうになってて、全然私は関係ないけど見てて怖くて、「ちょっとそこ気を付けて」とか言って。
あと、私がシッター先の1歳未満の子を迎えに行ったら、砂場でお砂食べてたんですよ。隣に先生居るのに何も止めないの。私が保育士の時はそんなの保護者に見せられへんから、例え砂を口に入れてしまっても、すぐに止めて、保護者がお迎え来る前にちゃんと口の周りを綺麗にしたりして気をつけてたけど。先生が隣に居て、私が「あっ、砂食べてる…」って私がちょっと呆然としたら、先生が「止めても止めても食べるのよ」って言ったの。すごい衝撃的だった。(笑)えっ自由!って思って。それで許されるのね、こっちの保育士、めっちゃ楽ねって思っちゃった。(笑)』
ですね。
『こっちの保育士さん、のびのび仕事できていいなって思います。』
日本はがんじがらめにルールを作って、そこからはみ出したりすることがすごく難しくなってるように思いますが、保育士の労働環境はどうなんでしょう。
『相当ひどいと思います、ほんとに。私が最初に5年働いてた園はまだマシな方だった。それでも一応就業規則では就業時間が夕方の4時半まで、だけど誰も4時半にはもちろん帰れないし、早くて6時、遅かったら8時9時、とかだったので。それが当たり前だったんですよ、当時は。だけどオーストラリアから戻ってから働いた園は、行事前なんて本当に終電まで先生たちが働いていて。夜の11時半とか0時まで。近くの先生は、例えば自転車で来てる先生とかは、自転車だからってもうちょっと残ったりするの。
園側ももっとできることがあるなって思います。もっと削っていいとこ削っていい。例えば、卒園アルバムとか作るのも、外注できることはすればいいと思う。全部保育士が手作業ですることが園の愛情だみたいなところがあるけど、そこのこだわりは必要ない。保護者は、やってもらって当たり前って思ってるか、それを感謝するかはそれぞれの保護者の気持ちによるけども。手を掛ける部分を省いても、保護者はそういうもんだと思うだろうし、削れるところは山のようにあると思います。』
最初はいいものとして始めたんでしょうけど、それで無理なくやれてたんでしょうね、有り難られて。やる方もそれで回ってたけど続けていくうちに段々辞めれなくなってるようなもの、例えば他の業種にもたくさんありますよね、学校の行事なんかもそうでしょうし。
『こっちの園って例えば運動会とか作品展とかそういうのもほとんどないけど、日本はやっぱり行事がすごい多い。当時はそれが当たり前だと思ってやってましたけど、例えば作品展にしても、子どもにできることや活動時間は限られているので、見せ方とか展示とかは結局先生がしないといけないですよね。保護者はそれ見て、「わあすごい!」って言ってくれるし、もちろんそれは嬉しいって思う、成長を見られるという意味で。だけど果たしてそれは必要なんかなって、こっちに来てから思うようになりました。それがなくても子どもの成長は見られる。日本の友達が、「今年の作品展もすごい」って、自分の子の園の体育館中に立派に飾られたの作品展をインスタとかでアップしてるのを見ると、すごいというより、先生達大変だっただろうなって思っちゃう。うわあ、先生たち残業だいぶしたやろうなって思って見ちゃいます。だからそんなの無くても実際はまわるんだけど、それが当たり前だと、削るという選択肢はなかなか難しいんだろうなって思う。』
自分が保育園行ってた時は割と放ったらかしというか、昼寝の時に走り回ってる子とか普通に居ましたよ。
『そうです、私もそうでした。だいぶ変わったと思います。私もそうでした小さい時。』
子どもが居る日本の友達と話をすると、保護者側も準備するものをきっちり揃えないといけなくて、きっちりやるのに疲れて身動き取れなくて両者規則でがんじがらめになってるなと、先生から見られてこの30年ぐらいで一体何があったんだと思われますか。
『それは、例えば公立と私立でも全然違うと思います。私立だとやっぱり特色を出さないといけないので、遊びに特化する園もあれば、お勉強や音楽特化する園も。おそらく特色を出さないと子ども自体が減ってるので、園児を集められない。その特色出しの為に、色々しないといけない、というのがまずひとつあると思います。それから、それこそちょっとした親のクレームとかにやっぱり園も対応せざるを得なくなってきた。少し前だと多分ちょっと転んだぐらいで親もぎゃあぎゃあ言ってなかったと思うけど、なんせやっぱり子どもの数も減ってるし、園側もそこ聞かんでいいのに、みたいなところまで聞いて対応するのが当たり前になってしまったのかもしれません。
私は小さい時は公立の田舎の園だったので、友達と遊んでた記憶しかない。例えば誰かが何か悪いことをしたら先生に怒られてるイメージはあるけど、そんなに先生が自分達に関わってくる記憶がなかったですけど。ここ10年20年私の知る限りではなんかこう、教育者側がいかに与えてあげられるか、音楽の指導します、体操教室があります、プールもあります、英語もやりますみたいな、こっちがいかにプログラムを用意してあげられるかで、親から選んでもらう、みたいなのが増えた気がしていて。余計保育士側も仕事が増えるし、親も求めちゃうし、っていう風になってんのかなあ。』

 

 

 

 

さっきチラッとおっしゃってましたけど、保育士もそうですけど先生、教育者の裏側ってなかなか表に出て来にくいですよね。大変な状況を少しでも言い出すと、それに対して親側からクレームが来ると何も言えなくなるので、もしくは園側が言えないようなことやってる場合とか。
『最近だと裏側の話はちょっとずつ出てきてはいますけどね。』
欧米とかに比べたらどうですか。
『足りないですよね、そういうところは。比較で言うと、こっちの保育士さんたちがストライキするとかびっくりしました。』
こっちは組合が強いですよね。
『そうそう。そうか先生とか保育士も当たり前にそれができるって強いですよね。もちろん共済会には入ってましたけど、ストライキ権を行使しようだなんていう頭がアイデアが出なかったです、そもそも。』
なおかつ日本の場合はなんていうんですか、デモやストライキで制度や社会システムに変化をもたらしたって歴史がないからそういう発想が出てきにくいのかな。欧米はデモやストライキで制度や社会を変えてきた歴史があるから、権利を行使することに躊躇しない。
この間ドイツの新聞で見た記事でこちらでよく見る最近の出来事や話題なんかについてリサーチをしてそれについての反応のバロメーターを出すじゃないですか。その記事は学校の先生を対象にしたリサーチとバロメーターだったんですけど、3分の2の先生が現場の一番の問題は人手不足となっていて、それが間違いなく仕事をやりにくくしているっていう。あとは少数意見として技術的な設備の不足、デジタル化が進んでいない、さっきおっしゃってた古くから残る既存の官僚体制や既得権益が新しい試みを妨げているなどで、結果的に仕事の量を増やしてるってなっていて。さらにこれはヨーロッパ、ドイツに特化しているものかもしれませんが、新たに移住してきた人達の子どもが増えすぎている、難民受け入れやウクライナ戦争で移住してきた人達がそれに該当すると思うんですけど、それが仕事をさらに難しくしているって。これだけ見るともう課題が山積みでどこから手をつけてよいか分からないし、先ほど保育士をやられてる時のお話でおっしゃってましたけど、1人の一日の仕事量って限られてるじゃないですか、その中でクレームがあって、子供の世話となると、残業も当たり前になってくる。現状回すだけで精一杯というかそのバロメーターの中で先生の5人に4人が子供達に適切な指導を行えてないって思っているってリサーチ結果もあって、その記事で使われてる写真も先生が頭を抱えてる写真が使われていて、見てるだけで辛いなと。
『日本だけでなく、ドイツでも同じ課題があるってことですよね。』
日本語補習校の先生をされていて、実際に現場で働かれていてドイツと日本の違いみたいなものがあったら教えていただきたいです。良いところも悪いところもあるって当たり前の話だと思うんですけど。
『補習校、私は日本人の組織で働いてるので、ドイツの教育をがっつり見てるわけではないので、比べるのも難しいんですけど。一つ実感したのは、今6年生担任して3年目なんですけど、意見文など書く時に、それは日本語の得意不得意は別として、子ども達の意見がすごいしっかりあるな、と。私12歳の時にこんなしっかり考えられてたかなって自分の小学校時代とかを振り返ってしまいます。多分それは、「あなたの意見をしっかり述べなさい」っていうドイツの教育をされて育ってるのが大きいのかなと。なので何か私が問いをしても、拙い日本語でも、日本語力がそこまで高くない子でも、すごいちゃんと自分の意見を言おうとしてくれるところは、「あなたの意見は何なのか、それをどういう風に述べるのか、しっかり自分の意見を言う」っていう、考察やディスカッションするっていう基礎ができてるんだろうなっていうのは感じますね。もちろん日本の教育も私達が受けてきた頃とは変わってるとは思うんですが。なんかもうこっちでは、黙ってたら意見がないのと一緒だみたいな感覚があるので、大人しい子は意見言うのが嫌だというのも聞くし、それを心地よいと思っていない子もいるだろうけど。だけどそれって訓練っていう部分もあるので、私も実際すごい引っ込み思案の子どもだったので、もしそういう教育を受けてたら、小さい時は嫌だって思ってたかもしれないけど、後々やっぱりそういうのを繰り返すことでしっかり自分の意見を言えるようになるのかなと。言うってことはやっぱ考えないと言えないことだから、その辺りはすごいしっかりしてるなあって、私の想像してた年齢よりもすごいしっかりした意見が出てくるので、時々びっくりします、大人びてて。』
日本語補習校で毎年発行されてる文集ありますよね、あれとか見てるとすごいドライな内容の児童生徒の作文とかありますよね。
『もちろん校正は入れるし、この辺膨らませてとか、ここの事例もうちょっと詳しく書いてとか、そういうので何回かリターンして。やり合いはするけど、でもベースの意見はその子自身なので。そういう意味では、この年齢でこういう風にちゃんと考えられるのすごいなって思うことは多いですね。』
対比になるんですけど、ってことは日本の12歳ぐらいの子ども達がまだ自分の意見が言えないっていうのはある意味悪い部分だって思われますか。
『うーん、私も日本の小学校で働いてないので、そこは比べようがないですけど。
日本社会のムード的に、自分の意見をばしっと言うより、この辺まで言っても大丈夫かなっていう、ある程度の周りとうまくやる力は、もちろん日本の方があると思う。ドイツでも、そういうスキルが必要な部分もあると思います。それは捉え方によって、長所が短所で、短所が長所みたいな言い方になっちゃうけど、もうちょっと他の子の気持ち考えて言ってよ、って時ももちろんあるし。でもそれは裏を返せば、周りがどう思おうと自分の意見をしっかり言えるっていう意味では長所だと思うので…、すごい難しい部分ではあると思うんですけど。
私は、自分のクラスの中では日独教育両方の良いところをできるだけ取っていきたいなって思っていて、全員が意見を言えなくてもいいけど、私もシャイな子の気持ちは分かるので言えなくてもいいけど、先生が何か質問をした時に「わからない」って言うのはやめようって言う話をしています。わからないって言われたら先生はヘルプできないし、せめてどこが分かんないかせめて教えてほしい、例えばここまでは分かったけど、この設問がわからなかったとか、こういう意見は持ってるけど、それとこれをどういうふうに繋げて考えたらいいかわからないとか、ドイツ語では言えるけど日本語ではわからないとか、「わからない」って一言で済まさないように、っていう話はしてます。』
実際にどうですか。
『多分子ども達も「わかんない」って言ったら、先生に「どこが?何が?」って聞かれるから、そういう風に木本先生の前では言わないようにしようっていうのは感じる。(笑)おそらくそれを言ってると子ども達も、「ああ、私どこがわかんないんだっけ」って考えるようになってくれるかなと思って。それは、そもそも日本語の語彙としてわからなくて、ドイツ語で説明したら答えられるっていうパターンもあるので、その部分は友達でドイツ語・日本語が堪能な子に説明してもらったりして、それでその子が理解できる時もあるし、それ以外の部分でわからないのか、その子がどこでつまずいてるのかをちゃんと見極めてあげたいなって思ってます。どこの段階でその子が困ってるのかを見極めて、つまずいてるところでちゃんとサポートしてあげたいなっていうのは気をつけてますね。』
学校の先生って結構重要ですよね。なんていうんですか、子どもが両親以外の大人と会う数少ない存在というか、どういう先生と会うかによってその後の子どもの将来にどういう影響を与えるかみたいな研究やレポートもあるぐらいで。
『ありますよね。1年って長いですしね。ずっと一緒にいるから影響力も出てくるし。』
子どもとの付き合い方やアプローチは日々アップデイトされてる感じですか?
『したいなと思ってます。なので今も例えば授業でいうと今日の授業上手くいったって思うのは年に数回しかなくて。どこかしら、「ああ、今日のあそこ○○ちゃんの意見もうちょっと引き出せば良かったな」とか、「あそこの展開こっちを先にした方が良かったかな」とか、日々反省って感じです。同じ単元をやってても毎年子どもが違ったらやっぱり反応が違うので、同じようにはいかないんですよね。なんかちょっとずつ変えていかないと。去年ここで良い反応あったけど、今年はない、ということは、もう一歩もう一回下がってこっから説明したほうが良いなとか、そういうのは本当に、機械相手じゃないから、なんか常に探り探り、今年の子どもにあった教え方はなんだろうみたいなのは気にしてます。
関わり方でいうと、例えば日本語がよく出来る子は、手もよく挙げるし、そこで褒めてもらえることが多いんですけど、苦手な子ももちろんいる。でもその子の褒めるポイントを授業の中でなるべく探したい。自信をな失くさせる場にはしたくなくって。特に小学1年の担任をしていると、まだ教室でお勉強するのに慣れてない時期にあんまり厳しくはしたくないので、1学期は特に、わざとふざけてみて空気を和ませつつ、子どもの表情や様子を見つつ、褒めるとこを探しつつっていう感じかな。』
今2クラス担当ですか?
『幼稚部の年少、小1、小6です。』
自分の意思とは関係のないところで1年ごとに付き合う子どもが変わるわけじゃないですか、1年ごとに付き合う人が変わるって不思議な空間と関係性ですよね。
『そうですね。最初はお互い子どもも私も探り探りで、多分やっぱり4月はどっちも疲れてると思う、4月5月あたり。でも、補習校で長く働いてたらそれがだいぶ楽になってきて。というのも必然的にだんだん知ってる顔が増えていくじゃないですか、年少で一度担任しているので。なので働き出した最初の2、3年より今の方が全然やりやすいです。保護者も私のこと知ってくれてるし、年少の時に担任した子が1年生に上がってきたり、1年生の時に見てた子が6年生に上がってきたり、それは長くいるからこそのメリットで、すごく救われてます。6年生なんてすごく大人びてるけど、「1年生の時はこんなことしてふざけてたのに~」って言えるし(笑)既に色々と分かっている部分があるから。あんなにちっちゃかったのに大きくなって!みたいな。
保育園に勤めてる時は、長かったら2年間担任する時もありましたけど、卒園して小学校に行っちゃうともう会わない子の方が多いじゃないですか。でも補習校は辞めない限りは0歳から18歳まで子どもの成長を見られるので、楽しいですね。可愛さも増します。』
ちょっとここで補習校って何かって補足があってもいいかなと思うんですが。ドイツ、ベルリンに住む日本人の子ども、片方の親のどちらかが日本人の子ども達に日本語を教える学校ですよね。0歳から18歳までの子どもを対象に、6歳までが幼稚部、7歳からはいわゆる日本の教育制度と同じ小学1年生から6年生まで年ごとに区分けされて、そのまま中学、高校と1年ごとにグループ分けされてるっていう。言い方適当かわかりませんが、入学さえすれば幼稚部から高校までの一貫校ですよね。これだけの幅の年齢の子どもを複数の先生が交代しながら担任していくスタイル。ひと昔前の日本の田舎にあるような学校のスタイルと似てるというか。補習校は毎年担任の先生が変わられますが、日本の小学校って今どうなってるんですか。
『小学校は2年単位が多いですよね。』
短いタームで付き合うより長いタームで付き合う方が良いって思われますか。
『と思います。』
ですよね。どれぐらいのタームが良いとかって例えばあったりしますか?
『でもやっぱり相性もあるので、相性の合わない先生と2年っていうのはキツくないですか。子どもにとっては(笑)』
確かに(笑)
『子どもからしたらまたこの先生かあ、みたいな(笑)補習校だと子供と担任離れても、廊下であったりとかしたら声かけられるし、大きくなったねみたいな話もできるし。やっぱり担任持った子はずっと可愛いし、成長見ていけるのは良いなって。』
子どもほんとに好きなんですね。
『好きです。可愛い、めっちゃ可愛くないですか。己波くん(インタビュアーご子息)可愛いでしょ。』

 

自分の話を少しすると、自分に家族が出来るまでは子供が嫌いだったんですよ(笑)
『へえー!』
親戚の子供は寄り付かないですし、遠くから見てるっていう(笑)
『怖いなって?(笑)』
自分が大人になってから自分に子供が懐いたことがなかったので、苦手というか、自分からもどちらかというと子供を避けてるというか。子供はどう関わって良いか分からない対象という感じでした。子供以外に興味のあることが他にあるというのもあったと思いますが、今はそれでも他人の子供を見て可愛いって思うようになりましたし息子は可愛いし大好きですけど、今でもどう付き合ったら良いか分からないまま子供とは付き合ってるって感じです。子供ってよく考えると不思議な存在ですよね。どこの子供とか関係なく子供が好きっていう木本先生の境地には足元にも及びませんが。
『いえいえ。私、未だに憶えてるのが、多分私が10歳ぐらいで、従兄弟が生まれたばっかりで、わーんって泣いてたんだけど、周りの大人が忙しそうだから私が抱っこしたら、ぴたっと泣き止んだんですよ。それが原体験かも。可愛いいい!みたいな。私が抱っこしたら泣き止んだのは鮮明に憶えてます。従兄弟の中で一番年上だったっていうのもなんか大きいのかなって思って。小さい子がのりちゃんのりちゃんって来てくれるのがすごい可愛くて、その辺から始まっているのかなって。』
実家は親戚が集まって割とこう。
『そうです。仲良いです、親族みんな。』
そういう環境があったんですね。
『そうですね、それはかなり大きいですね。お正月とかお盆とか、みんな集まって従兄弟でワアって遊んでたので。』
木本先生の場合はサラブレットの血統が大きいのかなという感じがしますが、そんな先生にこんなこと聞くのどうかと思いますが、学校って必要って思われますか。
『うーん、めっちゃ難しい質問ですね。』
個人的な話なんですけど、自分は割とどっちかというと積極的に学校から離れた人間で、10代の半ばで社会に出た人間なんですけど、学校教育の恩恵みたいなものを充分に受けてきたって感覚が乏しいんですよ。同時に学校以外の世界に惹かれていったっていうのもありましたし、友達に裏切られて学校生活にまつわる世界みたいなものに絶望した人間なので、学校教育みたいなものとはうまく付き合えなかったんです。でも学校には行きたかったというか、友達とも関わりはもちたかったけど、うまく関われなかった。木本先生は実際学校側というか、その真ん中にいる人が学校をどのような存在として考えておられるのかなと。
『学校っていう大きな括りでは何とも言えないですけど、補習校に限って言うと、こっちに育つ、こっちのバイリンガル・トリリンガルの環境で育つ子の支えになり得るところなのかなって気はしていて。もちろん、日本語を勉強するだけで言うと、別に補習校に通ってなくても日本語の勉強の仕方はいくらでもあると思っています。補習校のやり方が合う子、合わない子もいると思うので。日本語学習をするなら補習校に絶対入ったほうが良いとも思ってない。もちろん通わせられる・通わせられないっていう家庭の状況もあるし、習い事と被るとかそういう時間的な問題もあるし、やっぱり読み書き中心になるので、そこを重視しない家庭もあるでしょうし。それが必ずとは思わないです。でも、特に大きい学年の子達を見ていると、思春期特有のアイデンティクライシスみたいな、「私は何者なんだろう」みたいな気持ちにぶつかる時に、同じような環境の子達が周りに居て、そのコミュニティがあって、クラスの中で同じ環境の、「日本人というアイデンティとドイツ人なり他の国のアイデンティ」を持っている同じ子達と時間を共有できるっていうのは、彼ら彼女達にとって精神的な支えになってるのかなと思います。だから上の子達は多分勉強しに来てるというか、友達に会いに来てるみたいな、ずっと通っているので、もう習い事っていう感覚でもないのかも。そういうの見てると、日本人とドイツ人のアイデンティを持った子達の、いつ来ても自分達が受け入れてもらえる場所の一つであるのかなっていう気がしています。
学校という場は。勉強する、もちろんそれがメインだけど、それだけと捉えちゃうと意義はあるのかないのか…、勉強の仕方、多分もっと効率的にやる方法もあるだろうし、今時オンラインでもできるだろうしって思うので。難しいですね。基本的に私はそこで働いているので、学校が良いのか悪いのかってあんまり考えたことがなかったけど。(笑)』
いや、先生のおっしゃる通りだなと思うんですよね、要はコミュティの話をされてるのかなと思うんですけど、学校もコミュティだし、補習校もコミュニティだし、そういうものとどれだけ関われるかっていうのが子どもにとっては大事というか。それは大人にとっても大事なことなんだろうけど、誰と出会って誰と過ごしたかというのは。
『あと、すごく手っ取り早く「世の中には色んな人がいるんだな」って知る場なのかなって思っていて。運動が得意な子もいれば、音楽が得意な子もいるっていう。自分と全然違う人間がいっぱいいるんだって知るのが手っ取り早く見られる。社会の縮図じゃないけど、社会勉強の第一歩みたいなところではあるのかなっていう気がします。やっぱり家族単位では見られない部分、社会を見て学べる場でもあるのかなって。もちろんそういうところを全部先生に押し付けられるとキツイんですけどね。もちろん最低限の躾は家でしてよって思うところはもちろんあるけども、子ども達にとっては多分そういう側面もあるんじゃないかなって気がします。』
意地悪な質問をすると、それは別に日本語でなくてもそういうコミュティさえ作れれば学校は要らないっていう言い方もできるのかなと。コミュティならそれこそ今の学校制度における学校でなくても良いって考え方もあるし、実際ドイツの私立の学校や、アメリカなんかだと公立とは違うアイデアの学校があったり、極端な子だと学校自体最初から行かないって子どもも昔からいたりはしますよね。
『それもありだと思います。』
義務教育の中身がなかなか変わっていかない中、自分みたいなケースの人が関われる教育の具体的なあり方みたいなことについてはどう思われますか。
今なんかちょこちょこそういう団体とか自治体と一緒に新しいアイデアで作った仕組みを試みてる学校とかありますよね。学校までいってなくても少人数である学習についてのみ特化する塾というかプログラムとか。
『いいと思います。それは子どもとの相性だと思います。なので、うちみたいな大きいところで、いろんな先生と関わって、いろんな友達と関わって、っていうのが合ってる子もいれば、少人数でいつも固定のグループでお勉強する方が合ってる子ももちろんいると思うので。選択肢がいっぱいあるのはいいんじゃないかなと思います。私は大人数で日本の行事をするのも好きだし、毎年いろんな違う子達と関われるのも好きなので、私は働いてて補習校楽しいなって思ってるけど、働く側も多分いつも同じメンバーで安心して、小さいコミュニティで働く方がいい先生もいるだろうし。先生も子どもも合うところを探せばいいんじゃないかなって思います。子どもにも絶対合ってる、ここがお勧め、とも言えない。もちろん1人で黙々とYouTube見て日本語学ぶ方が好きな子もいるし、今となってはオプションめっちゃあるじゃないですか、その選択肢の中の一個に補習校があるんだと思います。日本語を勉強するなら必ず補習校ですよ、とは言えないけど、私は自分の属してるコミュティが楽しいし、子どもも楽しそうにしてるのを見ると、存在意義はあると思ってます。』

 

例えば先生が担当されてるクラスは一つのコミュティとして機能しているなと思われますか。例えばそれの成果指標は何だったりしますか。例えばですけど、補習校の場合は分母は一応日本語ですよね、日本語を学習するっていう。でも先ほどおっしゃってたお話って、割とそこの話ではなくて、コミュニティの話でしたよね。先生をされていて。
『そうですね。特に上の学年の子達になると、自分達で人間関係築いていくので、そこに私が介入することはほぼほぼないんですけど、低学年とかだと、まだその横との繋がりがまだ未熟なので、子ども達はまだ私と喋りたいんですよね。私と喋りつつ、なるべく横同士で繋げるように「その質問○○くんに聞いてきてみて」とか「○○ちゃんがさっきそれ持ってるって言ってたよ。話してきてごらん」とか。学年が上がってきて補習校辞めたいなと悩む時、おそらくそこを引き留めるものって先生じゃないと思うんですよね。お友達っていうのが一番大きい要素なのかなと思って。もちろん1人で黙々と勉強して楽しくて、それでモチベーションを保ってる子もいるし、それもすごいなと思うんだけど、なるべく私じゃないお友達関係を築いといた方が、後々その子達の支えになるのかなと思ってるので。特に1年生とかは積極的に隣の子と一緒にワークさせるとか、ちょっと話すきっかけになるような活動を入れてみたりとか、っていうのは1年生の場合は気をつけて入れてるかな。』
それ面白いですね。きっかけを作るというか、関係作りを促してるというか。人と人との繋がりが最後は重要になってくるって思われますか。
『もちろん物理的に時間が取れなくて無理とか、現地校が忙しくて無理とか、辞めていくのにそういうパターンが一番やっぱり多いと思うんですけど。上の子達の話を聞いてると、あーもう日本語の宿題も大変だし、もう辞めたいって思った時に、先生や親の言葉もあるけど、お友達との関わりがあったからここまで来れたという話も聞くので。なんかそういう意味でも仲間の存在みたいなのが支えなのかなって思って、そういう場の提供もある。私達の一番の目的はもちろん日本語力の向上だけども、そこに追随するものにもちょっと関われたらいいなとは思ってます。
多分自分が根本的に人が好きなので、それを子どもに反映させてるのかもしれないですね、無意識に。人と喋るの、人と関わるのって楽しいよ、そこからの学びもあるし、人生の糧になるよ、っていうのを無意識で感じていて、それが出ちゃうのかもしれないですね。』

 

 

 

 

日本語補習校って日本の文科省からトップダウンの学習要領を軸に運営されてるんですか?それとも独自のやり方で運営されてるんですか?
『もちろん日本の学習要領に沿った教科書も貰っているので、ベースはそこです。が、もちろん日本の子どもたちと同じようにはできないので、独自の学習計画は立てています。文科省というより外務省の海外子女援助で、日本国籍のある子どもたちに義務教育機関の教科書は無料配布してもらえます。うちの補習校は、外務省の認定している補習校なので補助金が出るんですよね。ですが、やっぱりその補助金だけでは全くまかなえないので、教員とは言えども、お給料はそんなに充分にはもらえないです。大きな規模の話になっちゃうけど、海外で育つ日本国籍を持ってる子ってすごい可能性を秘めてると思うんです。グローバルに活躍しえる存在。だから国はもっとお金を使ってもいいことだと思うんですけどね。』
例えばおっしゃってる可能性みたいなこととは。
『日本語プラス、ドイツの場合だとドイツ語が話せる、多様性にとんだ視点から物事が見られる、例えばそういう子たちが日本語が出来て日本の国籍があり、将来的に日本で働いたり、日本に関わる何かに携わる可能性は多いにありますよね。働くことについてだけで話しましたが、そのことだけでも日本の国にとってもとてもそういう人材を育てるのは将来的にメリットのある話だと思うので。』
そのお話が本当だとすると、起きてることだけ見れば国がそういう人材を必要としていないとも見えるんですが、そこについてるお金はまだまだ足りないって思われますか。
『足りてないと思います。将来日本の国の利益になる可能性を秘めてる人材が海外で育ってるのにもったいないなって、もうちょっとお金使って欲しいなとは思います。』
ある程度お金をつけたら成果が出ると思われますか。
『と思います。』
日本だとこども庁が出来ましたけど、最初はすごい期待されて始まったけど、結局何がしたんだろうってなってますよね。
『結局中身は、みたいなね。子どもにかかる予算を増やすとか言ってて、結局そこに所得制限つけたりとかしてるのも、外から見てるとそれでは意味ないでしょ、と思う。』
ある大臣がこども庁作るなら高齢者庁作るって発言ありましたけど、辛いですよね。先生自体はサラリーとモチベーションがどれぐらいの比率で成立してるって感じですか。
『私は仕事=やりがいだけでやってきたようなところがあって。でもこの歳になって先のことを考えるともうちょっとお金にもフォーカスしないといけなかったなって最近焦ってきた感じです。やりがいだけでは生きていけんやんって。保育士の時もそうなんですけどね。』
好奇心を優先されてきた。
『そうです。やりがい優先で、楽しいからいいやって特に気にせずやってきたんですけど。今40歳を前にしてやっぱりお金も必要だなってようやく思ってきた感じです。』
教育現場はずっと先生のようなタイプの人に支えられてなんとか持ち堪えてきて、いよいよ立ちいかなくなって、やりがいって言ってもある部分綺麗事だし、サラリーの改革は議論のひとつですよね。
『やりがいだけあっても、さすがにボランティアは出来ないな。ある程度の報酬は必要ですよね。』
出生率が減っていってて、人口バランスは老人増加が確定してますよね、高齢者に決定権があるので選挙に行っても何も変わらないし、色々考えると根深いですよね。
『内閣の写真を見ても、ヨーロッパ諸国と、平均年齢や男女比の差というか、歴然ですよね。そりゃそういう政策になるよなって、なんかあの写真を見ると思っちゃいます。』
おっしゃってる通りだなと思うんですよ、日本の場合は見た目の悪さもさることながら、若い人にとりあえずやらしてみようみたいな余裕はないですよね、というかそういう存在もいないのかな。
『それこそ日本に帰られる予定はないですか?』
僕はそうですね、こっちでやることがあるし、元々日本でやってたこともあるし、でも今のところ日本に帰る予定はないですね。
『いつ来られたんですか?』
ヨーロッパには90年代から年に何度か定期的にツアーで来ていたので、ドイツにも友達は沢山いて。その流れで2008年頃からこっちと日本の二重生活を始めて、全部引っ越したのは2010年11月、東北大震災の前ですね。今年で滞在13年目です。外から見ていて思うのは例えば先ほどお話しに出てたような日本の教育にもっとお金をつけた方がいいってお話や先生方が抜くところは抜いていいみたいなお話はおっしゃる通りだなと思うんですけど、一方で日本に住んでないのでどうしても日本のことに関してとやかく言っても結局は外野のポジションなので乖離はありますよね。
『そうですよね。外からわちゃわちゃ言ってる、みたいになりますもんね。』
結局はどこまでいっても外野だし限界はありますよね。それこそ日本に帰られる予定はありますか?
『ないです、特に。でもなんかパートナーが亡くなったりしたら、そのうち帰るかな。』
ドイツで充実した生活を送られてるって感じですか。
『それより、帰国して仕事するとなったら、もう一回現役で保育士する元気はないかなって思っちゃいます。』
どちらの国でも働かれてそう思われますか。
『パートだったらやってけるかもしれないけど。時間通りに帰れるし。だけどパートだと生活していけないし、って考えるとドイツかなって。働いてる間はこっちで。こっちでおばあちゃんになって黒パンをかじって死ぬのは嫌なので。ご飯と味噌汁が好きなので(笑)それを考えると70代、60代とかで帰りそうだなあって(笑)』
日本に戻るっていうのはある部分地獄にもう一回戻るって感じですか。
『日本で仕事する、保育士をするっていう意味ではね。もちろん全然関係ない仕事をするのならば話は別かもしれないけど…、でもそれもちょっと想像できないので。』
天職なんですね。
『好きなんです(笑)』
子どもがめちゃくちゃ好き。
『可愛いって思います。毎週。多分子どもはどこでも可愛いんですよ。日本で働こうがこっちで働こうがどこで働こうが。その周りの環境が全然違うので、そこの部分が、子どもと関わってる間は楽しくても、その他の仕事になると、日本に帰ったらしんどいかなあって思っちゃいます。』
例えば日本で悶々とされてたり、先ほど出てたような事情で挫折したり辞めたりした先生や保育士の方に、ドイツで働く勧めはあったりしますか。
『私はドイツで現地の園で保育士をしてないからハッキリとは言えないですが、20代30代で、日本で保育士するのしんどいと思ったら、ドイツに来るのは選択肢としてはいいかと思います。こっちも保育士足りてないから。例えばワーホリで来てみて、この国合うなと思ったら、しっかり1、2年ドイツ語を上達させて、Ausbildung で専門的なお仕事の勉強をして、こっちで保育士をする、とか。チャレンジできる年齢だったらドイツは全然可能性があるんじゃないかなと思います。』
若い世代だと出来ると。
『出来ると思います。それはもちろんやる気があれば、若い人以外でも。日本人は基本的に真面目だし、日本の保育士さんって基礎的なことはしっかり叩き込まれてるんで、こっちで働くのはすごい楽だと思います。しっかり見ないといけない訓練もされてるし。もちろん異国で働くのは、日本の現場では想像しえない苦労もあると思うけど。日本の保育の質自体はすごい高いと思うんですよ。ただそれに付随してくる色々がしんどいだけで。そのスキルを日本だけじゃなくって、環境を変えてこっちでも働けるよとは思います。』
体現されてますもんね。ちょっと意地悪な言い方をすると、こういうお話が共感を得にくいってことだと思ってて、こういうことが実現するために何をすればいいんだろうなって思うんですよ。どこまでいっても外野だしわちゃわちゃ言ってるなってなるんで。
『そうでしょうね、そうだと思います。自分が多分20代の前半の保育士をしてる時に、こういった記事を読んだとしても、へえー自分と違う世界だわって終わってただろうなと思うので。』
目の前に走り回ってる子どもたちが居ますからね。
『そうそう。チャレンジするっていうのはある程度エネルギーも使うしね。新しい環境に飛び込むっていうのが。』

 

 

 

 

ちなみに友達とかは沢山おられるんですか。
『いやだいぶ減りました、ベルリンの友達。みんな完全帰国しちゃったり引っ越しちゃったりとかで。』
人付き合いは多い方ですか。
『そうですね。でも歳と共に減ってきましたけどね(笑)でも人との付き合いは好きです、基本的に。』
性格的にテスト勉強か友達と会うかだとどちらでしたか。
『友達と会う方を選んでしまってた性格ですね。(笑)なので、そこで後悔してるところはあります。後悔っていうかもっと勉強しときゃ良かったなと思う時はあります。(笑)』
『特に高学年の子達からは、上の立場の人って思ってもらいたくないっていうのはあるかな。敬わないといけないという存在よりかは、ちょっと僕達より日本語知ってる人。一応年上だから色々教えてくれるけどって人だけど、僕達が先生の知らないことを教えられる時もあるよ、みたいな関係が理想ですね。』
先生が子どもの時代ってどんな先生が担任だったんですか。例えば先生とは相性が良かったとか。
『小学校の先生はあんまり嫌いだった記憶ないです。』
学校の先生は好きでしたか。
『そうですね。好きだったかな。嫌いと思ったことはあんまりないかもしれないです。私大人しくてそこそこ出来る子だったので。先生から可愛がられてたってのはあったかもしれない(笑)』
(笑)出来る子で期待され過ぎてそれで潰れてトラウマになってる友達がいますけど。
『そういうパターンもありますよね。』
親類以外の大人と長い時間過ごす最初の体験ですよね。
『それこそやっぱり人間同士なので、私のことが嫌いな子どもがいてもそれは仕方がないなって。私はみんなのことをもちろん好きでいるけど、嫌われることに対してはしゃあないなって、そこで落ち込まないようにはしてます。』
割とフットワーク軽くやってこられてる感じですか。
『そうですね。あんまり後先を考えないタイプなので。突き進んでから、ああ間違った、と修正するタイプです。うちのパートナーは逆にすっごい熟考して、石橋ドンドンって叩いて、壊れないかなって確かめてから動くタイプ。私はとりあえず渡ってみて、ほら大丈夫だったわって、壊れたら壊れたでもう一回這い上がって、大丈夫、違う橋渡ってみるわ!ってタイプなんですよね。(笑)』
とりあえず渡ってみる、大事ですよね。
『真逆。彼は典型的な私たちが想像する「ドイツ人」だと思います。堅実な。』
ブレーキとアクセルが両方あるっていう、お互いちょうどいいのかな。
『そうですね。バランスは良いのか?多分お互いが違いすぎてちょっとイライラするんですよね。私から見ると早く動けよって思うし、彼は私を見るともう少し慎重にやれよって思ってるだろうし。私動きながら考えるタイプなので。』
ドイツに来られて良かったって思われますか。
『良かったとは思ってます。最初すごい良いなあ、好きだなと思って、その後すごい嫌いな時期があって。(笑)』
(笑)
『そういう時期無いですか。嫌なことばっか目に入るみたいな。郵便物も予告されてた日に届かないし、家に1日中いたのに不在届入ってたりするし。サービスめちゃくちゃ悪いし、フレンドリーじゃないし。そういうの嫌だって思った瞬間もすごいいっぱいあって。なんですけど今はそれを経て、好きと嫌いを経て、今はフラットにまあまあここで頑張って暮らしていけるかなって感じになってきました。』
どこの国でも良いところもあれば悪いところもあるって当たり前の話ですよね、それを肌感覚で実感するのに時間はかかりますよね。
『まさにそう言う感じでした。初めのうちは良いところしか目に入らず。
オーストラリアに居た時は、私がワーホリ切れても滞在したかったら、基本的には結婚するかしっかりした就職先に就労ビザを出してもらうかしか選択肢がなかったんですけど、ドイツって割とフリーランスビザが簡単に取れたり、チャンスを与えてくれてる気がして、誰かと結婚しなくても1人でもちゃんとやっていけて、それはすごいありがたいなと思ってます。ちゃんと自立させてもらえてるなっていう。』
ヨーロッパは地続きなので、外から来た人に寛容って思われますか。
『そうですね。』
日本は島国ですし、日本から来るとそう感じやすいですよね。とはいえ国ごとに激しい対立の歴史もヨーロッパにはありますし、最近だと外から来た人を受け入れすぎて街の治安が保てないとか別の問題もありますよね。
『そうですね。子どもたちを見てても、みんながいろんな言語を二つも三つも話していて、一クラスの中だけでもすごい多様性じゃないですか。教科書で読む多様性と違う、目の前にあるみんな違う環境ですり合わせながら生活してる。モノリンガルで日本で育ってきた私も、そこから学ぶことたくさんあります。もちろん問題もたくさんあるとは思いますが。モノリンガルじゃなくて2つ以上の言語を勉強してる子の方が共感性が高いっていうスタディもあって。』
ひとつのクラスに色んな国籍の子達が居て、最初からそれだとそれがデフォルトになりますよね。日本で手に入れるには難しい環境だけど、ベルリンだとそれが日常だったりするので。
『日本だと都会の一部だったらあるかもしれないけど、今のベルリンだとそれが普通ですよね。』
ちょっと見方を変えると、単一の閉ざされた空間だと、そこでしか成立しない、独自のものが出てくるって側面ははあるじゃないですか。いろいろなものが混ぜ合わさるからこその良さや欠点もあるんでしょうけど、単一の濃さにも同時にあるというか。
『ありますよね。日本特有の文化は世界にも認められていますし。』
最後になりますが、これから先何かやろうと思ってることや成し遂げたいことなどあったら教えていただきたいのですが。
『そうだなあ、難しいなあ(長い沈黙)。ずっと教育には携わっていたいと思うんです。なんか母に言われてすごい憶えてるのが、「いかに人の役に立つかだよ」って。いつ言われたのか覚えていないけど、自分が社会人になってからよく思い出すようになって。自分がどうやって人の役に立てるか、みたいなのを、歳を重ねれば重ねるほど、あの時の母の言葉を思い出して、どう言う風に自分が人の役に立てるかみたいなのを、ようやくちょっと、なんて言うのかな、考え出してます。それが直接的に子どもに教えられることもあるだろうし、対人間なのでなんかこう私が言葉で伝えなくても、ああなんかこういう大人がいるんだなっていう、見られてる立場でもあるので、自分自身も日々、その価値観であったり、もちろん授業の中身であったり、アップデイトしていくことを止めてはいけないなと思う。それが一番大きいですかね。ちゃんと自分も学び続けていかないと、自分も成長していかないと、ちゃんとそれを子どもたちに還元できるように、っていうのは意識してます。特にこの年齢になったからかもしれないですけど、そうですね、20代の時にはただただ楽しくて、子どもに関わっていたけど、そこから一歩、自分もいかに成長していけるかは、課題ですね。』

 

日本の保育士はレベルが高いという考えをお持ちの木本紀子さん、ベルリンの保育士はのびのびと仕事をしていると見られているようで、保育士を諦めた人やこれから保育士を目指す日本の若い世代には、ドイツでチャレンジしてみては、という提案もいただきました。

子供の話になるととにかく目を輝かせて話してくださる姿が印象的で、生徒さんや保護者からなぜ慕われるのか、それが理解できたような気がします。

いつか自分が子育てしたいとおっしゃってた木本先生にこれからも勝手に注目していきたいと思っています。

 

著者紹介

田中フミヤ

DJ,ミュージシャン 2022年現在ベルリンに在住。 https://www.fumiyatanaka.com/biography/ Facebook Instagram @fumiyatanaka.101

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