2016年を懐かしむ私たち:あの頃はまだ「世界を信じられた」年だった?
2026年に入ってから、なぜか「2016年振り返り」がドイツのTikTokやInstagramでトレンド入りしている。
有名人だけでなく、私のドイツ友人たちも投稿やストーリーで、10年前の懐かしい写真を、今の写真と並べて上げている。当時流行っていたSnapchatの犬顔フィルターや、Instagramの「リオデジャネイロ」フィルターに彩られ、今と比べるとちょっと垢抜けない顔をした友人たちの写真に、懐かしさが込み上げてくる。本当に多くの人がこのトレンドに参加していて、普段投稿をあまりしない私ですら、思わずスマホのアルバムを遡って写真を探してしまったほどだ(私の手元には2019年からの写真しか残っておらず、それより前の写真は古いGoogleフォトにログインしてやっと見つかった)。音楽配信サービスSpotifyでは2016年に関連するプレイリストの数がなんと790%の増加を記録しているという。
私は1996年生まれの29歳で、今年30歳になる。小学生のうち2年間をドイツの現地校で過ごし、日本で大学を出た後ドイツの公的文化機関「ゲーテ・インスティトゥート」で勤める傍ら、ドイツのメディア向けに取材や通訳の仕事をしてきた。2026年からは、ベルリンに移りドイツ国立歴史博物館に勤める予定だ。
2016年とはどんな時代だったか?
そんな私にとって2016年はちょうど20歳になった年。まだ最新のiPhone はiPhone7で、イヤホンジャックがない初めてのモデルだった。ワイヤレスイヤホンはまだ接続が不安定で、道ゆく人の多くは耳からケーブルを垂らし、カバンの中からものを取り出す拍子に手が引っかかってしまうことなどざらだった。スマホ背面についているカメラは1つが当たり前。私は大学に少しだけ慣れて、講義室とバイト先と家をせっせと行き来しながら見える世界を広げようとしていた。
より大きな世界に目を向ければ、英Time誌がドイツのアンゲラ・メルケル首相(当時)を “Person of the Year” に選び、”Chancellor of the Free World”(自由世界の宰相)と銘打ったのが2015年末。同年シリアからの難民を数多く受け入れた人道的判断を讃えてのことだった。ドイツ国内でも “Willkommenskultur”(歓迎の文化)として支持を集めていたこの政治的判断に対する評価は、2016年に入ると一転し、大きな反対のうねりへと姿を変えていく。翌2016年の “Person of the Year”がドナルド・トランプ次期米大統領(当時)で、 “President of the Divided States of America”(アメリカ分断国大統領)と評されたことは、2016年という年が政治的な分岐点だったことをよく示している。
なぜ今、2016年を振り返る投稿がトレンドするのか?
一つの見方は、2016年が「ポスト真実」時代前の最後の時期だった、というものだ。ヨーロッパの文脈でいえば英国のEU離脱が決まったのもこの年であり、以来現在まで続く混迷の時代の前夜、私たちの世代の記憶にある「古き良き時代」の最後の瞬間といったところだろう。あるいは、アルゴリズムによって自分の聞きたい意見だけに囲まれていくいわゆる「エコーチェンバー」や、ヘイトスピーチの問題などによって泥沼化していったソーシャルメディアを、「人々が繋がるプラットフォーム」として楽観できた最後の一年と見ることもできるかもしれない。その純真潔白の時代をこの世代は恋しがっている、と。
確かにそうかもしれない。が、このトレンドを担っている世代だって、昔が良いことばかりだったわけではないことはわかっている。確かに2016年はオックスフォードの「今年の言葉」に “post-truth”が、ドイツの “Wort des Jahres”(今年の言葉)にも “postfaktisch”(ポスト事実の)が選ばれた年だが、世界情勢が混迷の様相を呈していない時代などなかったことは、歴史について知れば知るほど、さまざまな人の視点に触れれば触れるほど、わかってくる。
それでも、このノスタルジックなフィルターと、その背景にある当時の世界に惹かれる人が多いのもまた事実だ。最近ドイツのラジオで聴いた話によれば、ノスタルジーとは個人的な懐古ではなく、人と人を結びつける役割を果たすものだという。だとすれば、このトレンドに参加する人々は必ずしも現実から逃避しているのではなく、互いに自分たちの現在地を確かめ合い、今と向き合おうとしているのかもしれない。
誰がこのトレンドを牽引しているのか?
今、2016年の振り返りがトレンドしていることのもう一つの側面は、このトレンドがちょうど私の世代によって牽引されているということと関係しているように思える。2016年から2026年にかけてのこの10年間は、私(たち)がティーンエイジャーから大人になり、決まった道から一つを選ぶ生き方から、答えのない世界へと飛び込んだ時期と重なる。大人の庇護のもとぬくぬくと育つという特権を享受した、いわゆる先進国の私たちの世代が、世界は思ったよりもずっと複雑で、ままならないところなのだと悟ったのがこの10年だった。そんな私たちがほっとできる束の間の楽しみ。振り返り、共有することで前に進む道標を探すための小休止。それがこのトレンドなのではないかと思えてくる。
このトレンドが社会的な注目を集めていること自体も感慨深い。ざっと見渡すと、これについて書かれているコラムの書き手や番組の作り手には同世代が多い。世界の複雑さを知ったこの10年の間に、世の中のさまざまな世代の人に受け取ってもらえる言葉の発信者に、同世代がなっていった。それが嬉しいと思うと同時に、もう世界に打ちひしがれてばかりはいられない、責任ある立場になったとも実感する。自分もその端っこで、できることをしていきたいと思う。
