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ドイツで親が亡くなるということ

ミュンヘンで一人暮らしを続けていた母が1月に亡くなりました。77歳でした。

母(日本人)は団塊の世代。日本で大学を卒業してからすぐにドイツに渡り、1970年からドイツに住んでいました。つまり半世紀以上もドイツに住んでいたことになります。

母は父(ドイツ人)とミュンヘンで知り合い、ミュンヘンに住み、私も8歳年下の弟もミュンヘンで育ちました。母は「家族はこれからもずっとミュンヘンにいるはず」と思っていたはずです。でも母よりだいぶ年上だった父親が先に亡くなり、私は20代で日本へ。弟も私の後を追うように30歳で日本にやってきて、東京に住んでいます。

つまり母はだいぶ前からミュンヘンで一人暮らしをしていました。日本に住む弟と私はできるだけ母に会いに行っていましたが、日本とドイツは何せ遠いのです。年老いていく母が心配で、老後を日本で過ごしてもらおうと、弟と一緒に母を説得したこともありました。

でも準備や話し合いをしているうちにコロナ禍になってしまい、いったんは「老後は日本で過ごすこと」に納得しかけていた母の気持ちは変わってしまいました。母は「50年を過ごし慣れ親しんでいるミュンヘンを離れるのは難しい」と決めたのです。

母は「変化」というものをあまり好まない人でした。ミュンヘンにはずっと変わらないご近所さん、数少ない友達、いつも買っている紙の新聞・・・・といった「母にとって、何十年も前から変わらない日常」がありました。母はそんな日常の中で死にたいと「ずっとミュンヘンに残る」と決めたわけです。(母のことは私の著書「ドイツ人は飾らず・悩まず・さらりと老いる」(講談社)にも書いていますので、よければ手に取ってみてください。)

母が一人でドイツに住み続ける以上、「いつか母とのお別れの日がやってくる。死に目には会えないかもしれない」とは思っていました。でも母はまだ70代。母方の祖母は2023年に亡くなりましたが、97歳という大往生だったこともあり、「お母さんもきっと長生きしてくれるんだろうな」と勝手に思っていました。まさか、77歳で突然のお別れをすることになるだなんて思ってもみませんでした。

母の死後、弟と一緒にドイツへ 母が希望したUrnenbestattung(火葬)

準備がよい母はだいぶ前から「自分が死んだらUrnenbestattung(火葬)にしてほしい」と決めていました。火葬の費用も母が生前に既に支払っていることを弟も私も知っていました。

母が亡くなった日は、母の近所の人が「今朝の新聞が郵便受けにそのまま入っている。電話もつながらない。様子を見てきてほしい」とミュンヘンの警察に通報をしてくれました。同日、警察の人が母の家に入り、浴室で亡くなっている母を発見しました。その際、家の中の目立つところに「Urnenbestattung(火葬)を希望」と書かれたメモと書類が置いてあったことに警察の人は驚いていたようです。

残念ながら、様々な不運が重なり、日本にいる私達姉弟が母の死を知ったのは母の遺体が自宅で発見されてから5日後のことでした。「火葬する前に母の顔をもう一度顔を見たい」と火葬場にお願いしました。Offener Sarg(顔が見える状態の棺桶)はドイツの法律では96時間以内は可能です。でも96時間経過してしまうと、その後、遺族が亡くなった人の顔を見ることはできません。だから「最後に一目、母の顔を見たい」という私の願いは叶いませんでした。

ドイツでは近年Urnenbestattung(火葬)は増えてきてはいるものの、土葬ほど一般的ではありません。火葬については様々な規定があるため、「遺族が希望する日に火葬をすること」はそもそも難しいのです。ミュンヘンの役所の人によると、「1月はたくさん人が死ぬ月」とのことで、火葬場も役所も何か忙しい時期のようでした。

ドイツの1月は寒いし、この時期に人がたくさん亡くなるのは・・・・なんだか分かる気がしました。思えば、父が亡くなったのも、(母親の違う)兄がなくなったのも、ミュンヘンの寒い冬の日でした。

ドイツでの滞在時に、できたこと。お墓の場所の購入、墓石の購入

母の死亡の知らせを受けてから、弟と一緒に一週間ほどミュンヘンに滞在しました。そのあいだに「できたこと」「できなかったこと」があるので、ここに書き留めておきます。

ミュンヘンに到着してから、弟と一緒にまずミュンヘンの墓地Waldfriedhofに行きました。そして、ここで母のお墓の場所を確認し購入しました。亡くなった父と同じお墓ではないけれど、「お隣さん」です。

実は母は生前「お墓はいらない」と言っていました。でも母が亡くなってから、弟は「お墓はやっぱり作りたい」と言いました。それを聞き、偲ぶ場所があってもいいのではないか・・・私もそう思ったのです。ミュンヘンのWaldfriedhofは生前の母の生活圏と近い場所にあります。そしてWaldfriedhof の「らしさ」は、多くのドイツの墓地がそうであるように「お散歩ができるところ」です。 母は散歩が大好きでした。そういったこともあり、母の墓をこのミュンヘンの地に作ることに決めました。

 ※写真はミュンヘンの墓地Waldfriedhofです。お散歩するのも気持ちよい場所です。

お墓の「場所」を購入した後は、弟と一緒にミュンヘンのSteinmetz(石屋さん)を複数まわりました。最終的には父の墓の墓石を購入した石屋さんと同じところで、母の墓石を買いました。墓に刻むアルファベットの書体も父の墓石と同じものを選びました。

実際に「お墓がたてられる」のは「もう少し暖かくなってから」です。これには理由があります。石屋さんが詳しく説明してくれました。「冬は寒いから、Frost(霜)の関係もあって、土がかたい。凍っている場合もあるので、墓石を土に埋め込む作業がうまくいかない。だから墓を実際にたてるのは、暖かくなるまで待ったほうがよい」とのことでした。

ドイツでの滞在時に、できなかったこと。年金の解約、銀行口座の解約

前述通り、母が亡くなったと知ってから、弟と一緒に約一週間ドイツに滞在しましたが、この時点で死亡届は発行されていませんでした。ドイツのなかでも様々なケースがあるかと思いますが、私達の場合、ミュンヘンで母の死亡届が発行されるまでに「死亡日から4週間~6週間かかる」と役所に言われました。

死亡届がまだ発行されていなかったことから、ドイツに滞在中、母の年金の解約、銀行口座の解約などはできませんでした。母が口座を開設していた銀行に弟と二人で出向き、母が亡くなったことをまずは口頭で銀行に伝えました。銀行の担当者によると、「死亡届が発行されるまで口座の解約はできません。でも死亡届がなくても、お葬式関連の費用はお母様の口座から送金できますよ」と説明してくれました。基本的に既に自動引き落としとなっている電気代、水道代などをのぞいて、死亡届が発行されていない状態で、新たな送金や振り込みはできませんが、「葬式関連の出費だけは別枠」なのだそうです。

これは非常にありがたかったです。というのも、お墓の場所とお葬式の費用は既に日本から弟と一緒に振り込みましたが、石屋さんに支払う墓石の費用はまだ振り込んでいませんでした。様々な出費が重なっていたため、墓石の費用を母の口座から墓石屋さんに直接送ることができたのは、ありがたかったです。

地球の反対側で親が亡くなるというのは、色んな意味で「大変」です。もちろん「近所に住む親」が亡くなる場合も、悲しい気持ちは同じだと思います。でも自分が住んでいる国とは違う国で肉親が亡くなると「実務的なこと」がやっぱり色々と大変だし、お金もかかります。

母が亡くなったことについて、エックスFacebookインスタ投稿その1インスタ投稿その2などで「母が亡くなった悲しみ」について書きましたが、今回のYoung Germanyでは「母が亡くなった後の実務的なこと」を中心に書いてみました。もしも、何らかの参考になれば幸いです。

次回もまた母のことを書きます。

サンドラ・ヘフェリン

著者紹介

サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴19年、著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) 、「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: ヒラマツオ/KADOKAWA)、「『小顔』ってニホンではホメ言葉なんだ!?~ドイツ人が驚く日本の「日常」~」(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: 流水りんこ/KKベストセラーズ)」など計11冊。自身が日独ハーフであることから、≪ハーフはナニジン?≫、≪ハーフとバイリンガル教育≫、≪ハーフと日本のいじめ問題≫など「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ 「ハーフを考えよう!」 を運営。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、散歩。

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