母の葬式のためにドイツに一時帰国するも 地下鉄のストライキ、戦争による航空便キャンセルに見舞われ
親が亡くなるのは、どこにいても悲しいものです。でも「地球の反対側で親が亡くなる」場合、つまり「自分が住んでいる国とは遠く離れた国で親が亡くなる」場合、やっぱり「実務的なことが色々と大変」です。
2月に母のお葬式のためにドイツに帰ったのですが、予め言ってしまうと・・・・大変なことの連続でした。
母のお葬式は2月27日(金)でした。私はその3日前の2月24日(火)に日本を発ち、翌日の2月25日(水)の早朝にドイツに着きました。時差ボケで眠気と闘いつつも、無事にドイツに着けたことにホッとしていたところ、「金曜日と土曜日はバイエルンの公共交通機関の従業員が賃上げのためにストライキをするので、ミュンヘンの地下鉄が動かない」とのニュースが耳に入りました。金曜日といえば母の葬式の日です。ドイツでは日本よりもストライキがちょくちょく行われるとはいえ、そんなに頻繁にストライキがあるわけでもありません。なのに、よりによって、母の葬式の日にストライキがあるとは・・・・!軽くパニック状態になった私ですが、ありがたいことに母の葬式の日は姉のインゲと母の旧友のイルムガルトさんが手分けしてお葬式の参加者を車に乗せていってくれました。当日はタクシーもつかまりにくい状態でしたので、本当にありがたかったです。
そして迎えた母のお葬式の日。母を失った悲しみを感じつつ、皆がいてくれたおかげで穏やかな気持ちで一日を過ごすことができました。その時の様子を来月の記事にアップします。日本とドイツのお墓やお葬式の違いなどについて書きながら、写真も載せる予定です。
さて、「大変なこと」の続きです。お葬式を終えた日の翌日のこと。朝、弟と一緒に実家の近くにあるカフェに行き、二人で朝食をとっていました。前日の葬式の疲れを感じつつ、無事に葬式を終えることができたことで、二人ともホッとしていました。ところがふと携帯電話に目をやると「イランの指導者複数を米国が殺害した」とのニュースが飛び込んできました。「ついに戦争が始まってしまった」と心を痛めつつ、「こんな状況のなか、自分は日本に帰れるんだろうか」というまた別の心配も頭を過ります。というのも、私はアラブ首長国連邦のアブダビを経由する航空チケットでドイツに来ていました。
次の何日間、イランは報復として複数の中東の国の街を攻撃、アブダビの空港も被害を受け閉鎖されてしまいました。航空会社から最終的に「飛行機のキャンセル」を知ったのは、日本への帰国便に乗るはずだった3月3日(火)の早朝です。その日の前日からミュンヘンの空港の中にあるホテルに泊まっていましたが、航空会社からキャンセルの連絡があったため、やむを得ず、空港のホテルからミュンヘンの実家に引き返すしかありませんでした。
実家に戻り、代わりの便を探すも、どこの航空会社もアクセスが集中しており、予約をしようと思っても、すぐに便がなくなってしまいました。たとえば、「この便にしようかな?」と迷った何秒か後にその便をマウスでクリックすると、もうその便は見当たらないのです。それに、こんな状況だから当たり前なのかもしれませんが、どの航空会社も値段が高かったです。ようやくミュンヘン→イスタンブール→羽田のトルコ航空のフライトを見つけることができ、予約をしました。他の航空券と比べると「安いほう」でしたが・・・それでもエコノミーで片道35万円ですよ!
トルコ航空を無事予約し、予定していた日よりも3日遅れて、日本に帰国することになりました。当日の3月6日(金)に電車でミュンヘンの空港に向かいました。公共交通機関のストライキは既に終わっていたものの、今度は違うböse Überraschung(悪いサプライズ)が待っていました。途中で「空港へ向かうこの電車は、 ︎Ostbahnhof駅から︎Johanneskirchen駅までの区間、工事のため運行しません。バスをご使用ください」とのアナウンスがあったのです。・・・私の手元には25キロのトランクがありましたので、タクシーをひろって空港へ行くことにしました。ちなみにタクシー代は120ユーロでした。・・・今年の私はお金が出ていく運命のようです。
ミュンヘンで飛行機に乗り、乗り換えのイスタンブールに着いたとき、なんだかホッとしました。ようやくこれで日本に帰れるのだと。ちなみにイスタンブールの空港の電光掲示板には、英語だけの表示ではなく、「行先の国の言葉」での表示があって、ちょっと感動。日本行の飛行機だったので、「搭乗口決定予定時刻01:00」と書いてありました。気遣いが感じられていいですね。


※イスタンブールの空港の電光掲示板
イスタンブールの空港のなかを散策しながら楽しんでいましたが、日本行の飛行機に乗ってしばらくすると、またもや不安な気持ちになりました。トルコ航空がイラン上空を飛ぶことはありませんでしたが、地図を見ると、アゼルバイジャンの上空を飛んでいました。アゼルバイジャンの一部もイランに攻撃されていたので、それを見た時、なんだか生きた心地がしませんでした。飛行機がゴビ砂漠の上を飛んでいるとわかった時、ようやくホッとして、機内で深い眠りにつきました。
なにはともあれ、羽田に無事着いた時、この上ない安心感に包まれたのは言うまでもありません。今回のドイツ滞在は、「予期せぬことがあって、ホッとして、また予期せぬことがあって・・・・」の繰り返しだったような気がします。
でもよく考えてみると、自分がドイツと日本という国にルーツをもち、両方の国を行き来できることはありがたいことです。日本もドイツも民主的で平和な国です。だから私は「母を失った悲しみ」だけに向き合えばよく、自分や家族の命の心配をする必要がありません。ドイツに長く住む外国人の中には「母国で親が亡くなっても、かけつけられない」という人が多くいます。もし母国に行けば、当局に束縛される可能性があるため、親の葬式にも参加できないわけです。政権に批判的な過去のSNS投稿が命取りになることだってあります。世界のそんな状況を考えると、私が自分の身の安全を気にすることなく、自分の悲しみだけに向き合うことが許されるというのは実は贅沢なことなんだな、と気づかされました。
サンドラ・ヘフェリン
