愛の時代:1980年代ベルリンのエイズの記憶
ドイツ公共放送ZDFが放送するドキュメンタリー『AIDS ― In Zeiten der Liebe』(エイズ:愛の時代に)の試写会に招かれ、足を運んだ。
舞台は1980年代のベルリン。街はまだ東西に分断されている。ある日、東ベルリンのパン屋で2人の男性が出会い、恋に落ちる。舞台美術家のハイコ・ツォルヒョー(Heiko Zolchow)と俳優のディルク・ナヴロツキ(Dirk Nawrocki)だ。
当時、東西を問わず同性愛に対する偏見は根強く、とりわけ東ドイツでは「反社会的行為」として国家による監視と圧迫の対象でもあった。新しい表現の可能性と、同性愛者として自由に生きられる場所を求め、2人は西ベルリンへと出国する。それは同時に、生まれ育った東ベルリンに残る家族と自由に会えなくなることを意味していた。
もとの住まいからわずか2キロほどしか離れていない「異国」で、新しい生活が始まる。同じ境遇を背負ったクィア・コミュニティの仲間たちと過ごす日々は、その場限りの恋や芸術談義に彩られた、自由で華やかなものだった。しかしそのベルリンには、エイズの世界的流行が迫っていた。当初数年後と思われたワクチンの開発はなかなか実現せず、エイズを発症することは、当時ほとんど死を意味した。医学的理解も乏しく、「ゲイの癌」といった言葉が社会の偏見をさらに煽っていた。
それぞれの芸術に打ち込んでいた二人だったが、まずハイコが、続いてディルクが、エイズによってこの世を去る。
ベルリンの壁が崩壊し、東西ベルリンの往来が突如可能になったのは、ハイコの死から1年半が経った頃だった。エイズ研究も進み、HIVウイルスを保持したまま長く生きる道が開ける。
残された友人たちにとってそれは、「明日はない」と感じていた世界から、突然「未来のある現実」へと引き戻されることを意味していた。これからのキャリアはどうするのか?老後の蓄えは?友人や家族はそれぞれの道を、戸惑いながら探していく。

© Pedro Becerra/ nb Studios
ドキュメンタリーは、残された写真や映像、家族や友人へのインタビュー、そして言葉を極限まで削ぎ落とした印象的な再現ドラマによって構成されている。再現ドラマには600人以上の応募者の中から選ばれた俳優が起用され、撮影は2人が実際に暮らしていたアパートで行われた。
「壁の向こう」にいる家族に再び会える希望も、自分が寿命を全うできる現実的な可能性もない。愛する人と共にいるだけで差別を受ける。そんな時代を生きた二人、そして彼らと同じ時代を生きた友人や家族の姿が、観る者の胸を深く打つ。

© Pedro Becerra/ nb Studios
東西ドイツのエイズ政策という観点から見ても、この作品は興味深い。東ドイツでは当初、エイズの存在そのものが徹底して黙殺された。だが1980年代後半になると、西側との協力という異例の措置に踏み切り、医薬品の調達などが進められる。
一方、西ドイツでは当時の保健相リータ・ズュースムート(Rita Süssmuth) が党内保守派の強い反対を押し切り、大規模な啓発キャンペーンを展開した。正確な知識の普及による予防を掲げたその政策は、西ドイツのエイズ対策の転換点となった。ズュースムートの政治的軌跡については、日本でも公開された映画『フェモクラシー 不屈の女たち』に詳しい。
このドキュメンタリーは、1980年代のベルリンを壁の両側から見つめる時代の叙事詩であると同時に、登場人物たちのきわめてパーソナルな個人史でもある。政治に翻弄され、偏見に晒され、親しい友人を次々と失っていった人々。彼らの言葉と姿から、私たちはいまの時代にも通じる何かを確かに受け取ることになる。
『AIDS ― In Zeiten der Liebe』は全3部がZDF Mediathekで公開中(音声:ドイツ語)。
監督:ヨハネス・ニッヒェルマン (Johannes Nichelmann)
制作:nb Studios / ZDF 2026

© Pedro Becerra/ nb Studios
